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2017/09/16

ふるさとの歴史 津とその周辺

 【書 名】ふるさとの歴史 津とその周辺
 【著 者】三重郷土会
 【発行所】三重県良書出版会
 【発行日】1989/8/20
 【価 格】1,900円

下鴨神社の納涼古本市で掘り出してきました。昭和59年発行で平成元年に改訂増補されています。発売元が別所書店になっているので津あたりで出回った本です。巻末を見ると「三重の中世城郭」という本も出しているようです。

■集落跡
阿漕駅の西方丘陵にセントヨゼフ学園がありますが、建設時に発見されたのが高松遺跡。伊勢湾が見下ろせる丘陵上で弥生時代の32棟もの住居跡や墳墓が発見されました。セントヨゼフができてからも奥の方に住居跡などがありましたが、こちらも団地の造成で破壊されてしまいました。

■安濃
「万葉集」 草陰の安努(あぬ)な行かむと墾りし道 阿努(あぬ)は行かずて荒草立ちぬ(読み人知らず)
安努、阿努が安濃のことで枕詞が「草陰で」草深い所だったようです。意味は草深い安濃まで通じさせようと道路を開削したけれど、安濃まで通じないで、とうとう雑草が生い茂ってしまった。のようです。

「和名抄」
(安濃郡)建部郷、村主郷、内田郷、英太郷、跡部郷、長屋郷、岩田郷、馬屋郷、片片郷
(奄芸郡 あんげ)田井郷、服部郷、黒田郷、窪田郷
(一志郡)島抜郷

安濃郡は伊勢神宮の神田があり、総戸数は389戸と「神宮雑例集」に記録されています。神宮への年貢納入所もあり、こえが津市納所町の地名の由来と言われています。

■大市神社
帰化氏族大市氏の氏神。式内社として登場するが安濃町妙法寺と津市岩田の2ケ所の説がある。

■分部氏
1220年(承久2年)の記録に安西郡の検注使として和気部景康の名前が出てきます。これが分部氏のようで神宮領だった垂水納所を和気部駿河丹生王永運が押領しているという記録があります。

■塩浜
中世、伊勢国は若狭、瀬戸内海と並ぶ塩の生産地でした。鎌倉時代末期に富樫氏(のちに加賀国守護)が伊勢国十五所塩浜の地頭に任ぜられた記録が残っています。十五所というのは雲出にある地名です。織田信包が津城主になった時、藤方、上野、小森、雲出、矢野の塩浜に年貢を課した史料があります。織田信包は入城とともに柳山あたりの人を城下へ移転させ、これが津興(つおき)という津の町の興ったところと名付けられます。

■伊勢新聞
三重で最初に発行されたのが三重新聞(明治5年)で翌年に度会新聞が発行されます。伊勢新聞が発行されたのが明治11年で、創刊から今まで名前が変わっていない唯一の新聞になっています。


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