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2017/08/17

蘇我氏と馬飼集団の謎

 【書 名】蘇我氏と馬飼集団の謎
 【著 者】平林章仁
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2017/08/10
 【ISBN 】978-4-396-11513-5
 【価 格】820円

田んぼと言えば四角形の正条植えが一番効率がよいのですが、岐阜県高松山松之木町と新潟県佐渡市北鵜島にだけ同心円紋状の田んぼである車田があります。これは馬の額の旋毛である額田と関係しているようです。

蘇我氏の本貫は宗我坐宗我都比古神社ですが、すぐ南が忌部氏の本貫になっていて、蘇我氏の指揮下で各種玉類の製作をしていたようです。蘇我韓子は騎馬で戦ったいたようで馬飼集団と関係しています。

馬飼集団・平群氏
「紀氏家諜」に平群氏と馬について書かれています。額田駒宿祢が馬を飼育して天皇に献上し、馬工連の氏姓を与えられ、この馬工連と平群氏は同族でした。平群の地で馬飼をし、生駒は養駒の地から名付けられます。額田は平群郡額田里に住み、母系の氏姓である額田首を名乗りました。この額田首氏の本貫が河内国額田郷である。

額田部
額に旋毛(つむじ)がある馬を献上したことかた額田部の姓をたまわりました。額田部湯坐連氏は額田部皇女(推古天皇)の養育を担当した氏族です。

河内日下
隼人系集団の移住地で、馬飼を行い国家に胸腔していました。仁徳天皇と髪長媛と間に生まれた大日下王、若日下王の居住地で日下宮王家の拠地でした。雄略天皇が日下の直越道を通って若日下王に求婚しています。日下といえば神武東征の舞台となったところで、盾津といいますが、この盾は隼人の盾です。孔舎衙の戦いで大きなる樹に隠れてやりすごした人がいて、恩、母のごとしと樹に感謝したことから、その地を母木邑(おものきむら)と名付けました。この母木邑が豊浦郷。継体天皇の時代(530年)に任那復興で派遣された近江毛野臣の従者とみられる河内母樹馬飼首御狩の拠地となります。


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