戦国時代の天皇と公家衆たち
【書 名】戦国時代の天皇と公家衆たち
【著 者】日本史史料研究会
【発行所】洋泉社
【発行日】2015/12/18
【ISBN 】978-4-8003-0812-2
【価 格】990円
戦国時代の公家といえば、荘園を武士に横領されて、生活もままならなかったというイメージですが、なかなかどうして、しぶとく生き残っています。
門跡寺院
天皇の皇子や摂関家の子供たちが入る特別な寺で、醍醐寺の三宝院門跡、延暦寺の青蓮院門跡などがあります。住職は門主や院主と呼ばれます。江戸幕府では秀吉の豊国大明神に対抗して日光山に東照大権現を作った時に上野の寛永寺を新しい門跡寺院(輪王寺門跡寺院)にし、延暦寺との力関係を逆転させます。仕組んだのは天海のようです。
荘園以外の実収
山科言継が担っていたのは天皇などの装束作り。やがて家康が朝廷に参内する時の装束作りなども担当するようになり、武家の装束も担当するようになり、これが新しい収入となりました。
関ヶ原の戦いの時に田辺城攻めが行われましたが守っていたのが細川幽斎。当時、和歌の指導的立場にあった人物は細川幽斎ぐらいしかおらず、古今伝授がとだえることになります。それまで古今集を講義していた智仁親王に古今伝授の証明書を発行し、三条西家から朝廷に古今伝授の主流が移ることになります。徳川幕府の禁中並公家中諸法度の第一条に天皇が修めるべきなかに和歌がありますが、これは幕府が古今伝授を追認したものと言われています。
荘園からの実入りが少なくなるため、地方の荘園に在国するようになります。土佐に在国したのが土佐一条家。五摂家の1つでした。いろいろと戦っていましたので武家でもありましたが、朝廷からは摂関家に準ずる待遇をうけていました。
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