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2015/08/15

秀吉研究の最前線

 【書 名】秀吉研究の最前線
 【著 者】日本史史料研究会
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2015/08/21
 【ISBN 】978-4-8003-0710-1
 【価 格】950円

最新の研究をもとに秀吉の実像について書かれています。

■清州会議
信長亡き後、清洲に柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興、堀秀政が集まって織田家の行く末を論議し、柴田勝家が推挙する三男信孝ではなく、秀吉が三法師を擁立し、傀儡にしようとしたと、よく映画などでも登場する会議です。実際のところ織田家の家督を嫡男の三法師が継ぐのは、すぐに決まったそうです。問題になったのは御名代。三法師を補佐する役を信雄と信孝が争ったため、決められず三法師を宿老が盛り立てていくことになりました。

このあと、秀吉と柴田勝家が争うことになりますが、1つ目は秀吉が山崎城を築いたこと。二つ目は安土城への三法師入城が遅れたこと。三法師は一時的に信孝が預かっていましたが、信孝がなかなか手放しませんでした。破局にいたらないよう双方ともに和睦を模索していたようです。清州会議の後も信孝が自分の花押をそえた継目安堵を発給するなど、信用おけない行動をとったこともあり最終的に秀吉が丹羽長秀、池田恒興、堀秀政と結託して三法師をやめて信雄に家督をつがせるクーデタをおこしたことから全面衝突になった模様です。

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