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2014/12/24

京都の平熱 哲学者の都市案内

 【書 名】京都の平熱 哲学者の都市案内
 【著 者】鷲田清一
 【発行所】講談社学術文庫
 【発行日】2013/04/10
 【ISBN 】978-4-06-292167-1
 【価 格】960円


 


京都駅から七条通、東大路通、北大路通、千本通を1周するのが206番の市バス。最期まで残った京都市電が同じルートを走っていました。この206番の市バスが通る周辺の様々な情報を紹介しています。学生時代、「河原町のジュリー」が有名でしたが、この人物紹介やら千本日活などなどいろいろな情報が満載。昔、左京は洛陽城、右京は長安城と称されましたが右京は湿地帯で衰退し、左京が栄えたため京都のことを洛中と言うようになります。


 


206番ですが千本通りを南へ行くと三条通りから斜めに道路(後院通)を通って、四条大宮駅へ抜けますが、市電を通す時に三条の南にあった材木の同業者町が反対したからなんだそうです。これが206番まで引き継がれています。


■八坂神社
祇園感神院(天台宗比叡山延暦寺の末寺)が神仏分離で誕生。


■平安神宮
明治28年に平安奠都千百年紀念祭」で建築。設計は東大の初代建築学教授・伊東忠太で孔子廟や築地本願寺を設計した人。政府に資金を要求したら明治3年に10万円を京都府に渡した産業基立金(手切れ金)を既に渡しているという返事でした。これで琵琶湖疎水や京都市電を作り上げます。琵琶湖疎水を作ったのが田辺朔郎という23歳の青年でした。伊東忠太が平安神宮を作ったのも25歳でした。


■古本屋「春琴堂」
京大近く東一条の角にありましたが、昔はタバコ屋を兼ねておばあちゃんが店番をしていました。この人こそ京都に在住していた谷崎潤一郎の家に勤めていたお手伝いさんで、谷崎にあやかって春琴堂と名付けました。


■1960年代の学生運動
京大と同志社の学生が出町交差点で集合。河原町通を南下し広小路の交差点で立命館と府立医科大の学生と合流して、さらに南下。四条通から祇園へ向かうのが定番でした。出町でよく学生が通ったのが古本屋「善書堂」と「ふたば餅」。


■喫茶店
百万遍の「進々堂」「らんぶる」、出町柳の「柳月堂」、木屋町の「るーちぇ」「みゅーず」、高瀬川沿いの「フランソア」、河原町の「築地」「六曜社」、荒神口の「しあんくれーる」

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