信長研究の最前線
【書 名】信長研究の最前線
【著 者】日本史史料研究会
【発行所】洋泉社歴史新書
【発行日】2014/10/22
【ISBN 】978-4-8003-0508-4
【価 格】950円
副題が「ここまでわかった革新者の実像」。テレビや映画で革新的イメージで語られている信長ますが実際はどうだったのか最新の研究から説明しています。
・信長は、将軍義昭を操っていたのか
・信長は、天皇や朝廷をないがしろにしていたのか
・信長は、官位を必要としたのか
・織田・徳川同盟は強固だったのか
・信長は、秀吉をどのように重用したのか
・桶狭間と長篠の戦いの勝因は
・信長は、なぜ武田と戦ったのか
・信長を見限った者たちは、なにを考えていたのか
・明智光秀は、なぜ本能寺の変を起こしたのか
・信長は、なぜ四国政策を変更したのか
・信長家臣団における「勝ち組」「負け組」とは
・信長の流通・都市政策は独自のものか
・信長は、宗教をどうとらえていたのか
・信長は、文化的貢献をしたのか
長く続いた織田と徳川の同盟ですが、清洲で両者が会って同盟を結んだというのは創作のようで、桶狭間の戦いの後に領土協定を結んで、徳川が今川を攻めたというのが本当のようです。最初は戦国大名どうしの対等な関係で、軍事援助も足利義昭からの命令に従うという形になっています。やがて信長の力が増していく段階で主従関係へと変化していきます。
信長といえば出自が低い者も登用する実力主義が有名ですが、基本的には尾張出身者を優遇していました。別所長治や官兵衛の主君であった小寺が信長を裏切りますが、主従関係を無視して秀吉を取り込もうとしたことに意義を唱えるために起こしたもので、信長が秀吉を更迭すればそれでよしと考えていたようです。荒木村重も同様で摂津を自分で切り開いたのに秀吉の配下のような形にされ、謀反を起こします。勝算も十分にあったので、決して無謀ではなかったようです。
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