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2013/07/26

九州戦国史と立花宗茂

 【書 名】九州戦国史と立花宗茂
 【著 者】三池純正
 【発行所】洋泉社 歴史新書
 【発行日】2013/7/22
 【ISBN 】978-4-8003-0185-7
 【価 格】900円

関ヶ原の戦いでは西軍に加わり大津城攻めに関わったため改易となってしまった立花宗茂。義に生きる生き方には賛同者が多く、徳川の時代になって大名として復活しました。この本では立花宗茂に焦点をあてていますが、話はもう少し前の時代から九州での戦国時代が分かる1冊になっています。

国際貿易港であった博多を誰がおさえるかで大友、大内、毛利、龍造寺などが争い、北部九州はなかなか複雑な勢力争いになります。やがて大友と島津の合戦に発展して九州全土の戦いに。大友側で戦っていた立花宗茂は島津の攻撃をうけていたところにようやく秀吉軍が到着。秀吉は立花宗茂を大名に取り立てますが、朝鮮出兵を九州平定前から考えていたようで、その一環でした。

この朝鮮出兵ですが、日本の民衆にも朝鮮の民衆にも多大な被害を与えるだけの不毛な戦いでした。秀吉の真意はどこにあったんですかねえ。豊臣政権を家康が簒奪したという論調が多いのですが、朝鮮出兵で農民が兵として連れていかれ荒廃してしまった農村の再建、朝鮮出兵で破たんした中国などとの外交問題、貿易の立て直し、朝鮮出兵によって商人が莫大な損害を抱えていて国内経済対策もありました。できそうな人物が家康でしたので権限が集中することになり、征夷大将軍への就任につながっていったようです。

戦国時代を生きぬき、数々の合戦に参加した立花宗茂は徳川の世になると得難い人物となり、秀忠、家光の補佐役となります。著者の先祖は立花宗茂に仕えていましたが改易となったために加藤清正に新たに召し抱えてもらったそうです。立花宗茂は大友時代、島津と戦っていましたが朝鮮出兵などで助けあったため、関ヶ原の戦いで敗れた時は瀬戸内海で島津義弘の船を見つけ九州まで一緒に戻ってくるなど歴史は面白いですね。

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