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2012/03/31

信長、秀吉、家康 捏造された歴史

 【書 名】信長、秀吉、家康 捏造された歴史
 【著 者】跡部 蛮
 【発行所】双葉新書
 【発行日】2012/03/11
 【ISBN 】978-4-575-15389-7
 【価 格】800円

■お市の方は妹ではなかった
信長、秀吉、家康のよく知られている逸話ですが、けっこういろいろな説があるんですね。例えばお市の方ですが、信長の妹ではなく従兄弟の娘という話があるそうです。絶世の美女だったのは確かなようで、政略結婚ですので浅井長政への輿入れでは信長の娘として紹介されたそうです。

■本能寺の真の狙いは家康だった
よく知られる本能寺の変ですが、武田を滅ぼし甲斐が安定したため、信長は明智光秀に本能寺で行われるお茶会で利用価値がなくなった家康を討つように命じていたようで、決行予定日は本能寺の変の翌日。その前に信長が京都入りした時、挨拶に来た公家と改暦と安土遷都について激論になっています。朝廷はひょっとすると光秀に信長を討つように密勅を出したかもしれません。

光秀にとっては信長から家康討ち取りの命令を受けているので堂々と兵を動かせる。また家康を安心させるため、信長の親衛隊は上京に分散していて、本能寺にはすぐ駆けつけらません。軍事的空白地帯になっています。朝廷からは密勅が出ているのでチャンスだと考えたのでしょうか。

■千利休 切腹の真実
秀吉が千利休に切腹を命じますが、理由は様々。よく大徳寺の三門が引き合いに出されますが、あれは単なる理由付けで本質は千利休は商人だったということです。当時の堺の豪商は土地を買い占めており地代をとっていました。これが領主に収める高い地代。秀吉がすすめたのが中央集権となる太閤検地で、商人の地代を認めませんので、まともに利害が対立します。それまでは弟の秀長が緩衝材になっていましたが、病死してしまい決定的な溝ができたのでしょう。

などなど、あまり聞いたことがない話が満載です。

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