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2012/01/06

わずか五千石、小さな大大名の遣り繰り算段

 【書 名】わずか五千石、小さな大大名の遣り繰り算段
 【著 者】山下昌也
 【発行所】主婦の友新書
 【発行日】2012/01/10
 【ISBN 】978-4-07-280590-9
 【価 格】781円

江戸時代、徳川幕藩体制の中、徳川と同格の藩があったとは知りませんでした。現在の栃木県にあった喜連川藩で奥州街道の宿場町にありました。わずか五千石でありながら藩主は御所様と呼ばれ、江戸城では御三家や百万石の大名と同格でした。

喜連川藩は古川公方と小弓公方に縁があり、足利尊氏の血をひく家系です。家康は没落していた吉良家を助けるなど足利家を重んじていたこともあり、喜連川藩の立場は徳川家の客分で、これが後にも踏襲されていたようです。ただ五千石の収入で百万石の体面を保たなければならず遣り繰りが大変でした。喜連川藩ですが領民を考えた善政を行ったようで大飢饉でも一人の餓死者を出さず、借金で大変になった時は領民が協力しているほどです。

そんな喜連川藩ですが、家格に比べ石高が低いので吉良家が幕府に働きかけて加増してもらえる段取りになっていましたが、そこに起きたのが赤穂浪士の討ち入り。話は立ち消えになってしまいました。喜連川藩8代藩主はなかなか優秀で、幕府から老中などの要職につけば10万石にするがどうだと言われた時に、ありがたい話など喜連川藩は天皇の臣下であって徳川家に媚びたら先祖に申し訳ないと断ったそうです。こんな藩があったんですねえ。

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