戦国武将を育てた禅僧たち
【書 名】戦国武将を育てた禅僧たち
【著 者】小和田哲男
【発行所】新潮新書
【発行日】2007/12/20
【ISBN 】978-4-10-603594-4
【価 格】1100円
『戦国軍師の合戦術』の続編にあたる本です。戦国武将のそばには禅僧がいて、大きな影響を与えていました。戦国時代を見る目がけっこう変わってきますね。
■大使館のような禅寺
大使館といえば治外法権ですが、これと同じだったのが禅寺でした。関ケ原合戦の後、石田三成の子である重家が妙心寺の塔頭寿聖院に逃げ込んでいますが、家康は手出しをしませんでした。重家は寿聖院で出家しました。
武田信玄が三河へ侵略した時は坊主が200人ほど軍に付き従っていました。戦勝祈願をしたり合戦の日を占ったりしますが、後は外交の使者としての役目がありました。僧侶は武士と違い無縁ですので、敵地でも殺されることはありません。そこで使者といえば僧侶が使われたそうです。
僧侶ですが、武士の家に生まれると大体一人は寺に入るそうで、「一子出家すれば九族天に生ず」という考えだったそうです。最後は戦国大名になった安国寺恵瓊は安芸武田家の後取りでした。毛利に滅ぼされた時に逃げて、寺に入っています。やがて毛利のために尽くすことになるので世の中分かりませんね。金地院崇伝も足利将軍家の家臣の家でした。
■家康の大高城への兵糧入れ
桶狭間の戦いの前哨戦で有名なのが家康の大高城への兵糧入れですが、なかなか戦略的にやったんですね。織田方の丸根、鷲津砦から攻められるとまずいので、遠い寺部城、梅が坪城に火をつけ丸根、鷲津砦から救援にむかわせ、その間に大高城への兵糧入れに成功しました。
■印
信長の天下布武という印が有名ですが、始めたのは今川氏親です。花押は元服後でないと書けませんが元服前に文章を書かないといけない時に苦肉の策で印を押したそうです。
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