« 第31回 秋の古本まつり(京都) | トップページ | '98年版3分間ごとに世界通になる本 »

2007/10/28

伊予小松藩会所日記

 【書 名】伊予小松藩会所日記
 【著 者】増川 宏一
 【発行所】集英社信書
 【発行日】2001/07/22
 【ISBN 】4-08-720100-7
 【価 格】660円

四国・西条市の隣に小松藩という1万石の小さな藩がありました。今は愛媛県小松町になっています。城はなく殿様が住む陣屋が城代わりでした。正式な藩士は数十人。小さな藩でしたが江戸時代から明治維新まで改易されることなく残りました。藩の公用の馬は1頭だけで、いわば公用車が1台だけという藩です。

この藩の会所日記が150年にわたって書き綴られ、当時の庶民や武士の生活が細かく書かれていました。それを紹介したのが本書です。藩が昔、借りた借金の証文をもって押しかけてきた人に対する対応、酔って喧嘩になったのが刃傷沙汰事件になってしまった時の対応、盗人を探すため隣の藩や遠くまで派遣する様など当時の様子がよく分かります。

藩の財政は厳しかったのですが、これは参勤交代などの費用などがボディブローのように効いていました。船で大阪へ出て、そこから船で伏見まで上り、後は大名行列で江戸へ向かいます。総勢110名ほどですが、藩士は30名ほどで後は荷物運搬の小者です。江戸への引越し行列のような状況でした。ちなみに加賀藩は4000名、仙台藩は3500人でした。

小さな藩でしたが、懸命に運営していたようで享保の飢饉では一人の餓死者を出すことなく乗り切っています。隣の今治藩では113人の餓死者が、大きな松山藩では5705人でした。さすがにこれは松山藩の失政と藩主は謹慎を命じられています。

黒船来航の時は海防ということで大阪の天保山に4名を送っています。その後、伝法村(大阪市西淀川区)へ持ち場を移っています。藩から勤皇の志士が出ていたこともあり、戊辰戦争では早くから官軍側でした。足軽を含めて100名ほどの藩ですが、半分の51名を新潟の長岡に派兵しています。戦死1名、重傷1名、軽傷1名と犠牲者が出ています。官軍が勝利した後、善光寺見物や買物をしながら帰った記録も残っています。

現在の感覚でいうと、考えられないような記述もあるのですが、江戸時代の庶民や武士がどんな暮らしをしていたのか人間模様がよく分かる一冊です。不倫や駆け落ちの話も出てきます。

|

« 第31回 秋の古本まつり(京都) | トップページ | '98年版3分間ごとに世界通になる本 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 伊予小松藩会所日記:

« 第31回 秋の古本まつり(京都) | トップページ | '98年版3分間ごとに世界通になる本 »