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2007/05/27

東海学が歴史を変える

 【書 名】東海学が歴史を変える
 【著 者】森 浩一編
 【発行所】五月書房
 【発行日】2002/11/15
 【ISBN 】4-7727-0378-0
 【価 格】2200円



副題は「弥生から伊勢平氏まで」で、東海地域を中心とした古代から中世までの歴史について論議された第九回春日井シンポジウムをまとめたものです。

■安濃津
現在の津市ですが、地震で破壊されるまで安濃津という港で有名なところでした。海岸の藤方町を望む高台に前方後方墳「池の谷古墳」(全長90メートル)があります。この藤方という地名は日本書紀の雄略天皇の頃に全国から土師部を集めた時に出てくる古い土地です。藤方の方は古くは入り江を意味した「潟」が使われていたそうで、この藤方を見下ろす位置につくられた古墳です。津に長く住んでいますが、こんな古墳があったんですね。また古墳の近くに高茶屋大垣内遺跡があり、窯があったようです。

■伊勢平氏
伊勢平氏は津を中心に勢力を伸ばし、清盛の父親である忠盛は津生まれで都へ登ります。久居に木造荘(こつくりのしょう)という荘園がありますが、雲津川に面しており東端に雲津島貫遺跡があり、水路などが整備された居館が見つかりここが伊勢平氏の居館だったようです。また斎宮とも深い関わりがあったそうです。伊勢は神宮の御厨がたくさんあったところです。

■尾張、蘇我は同族
葛城などを勢力下にしていたのは尾張氏だったようですね。葛城に縁が深い蘇我氏も尾張氏と深い関係があったようです。また壬申の乱では尾張大隈が大活躍していますが、大隈の家は美濃で、尾張氏は尾張だけでなく美濃も勢力下においていたのですね。大海人皇子がいち早く不破の関をおさえられたのも尾張氏の活躍だったのでしょう。

飛鳥に小治田がありますが、これも尾張氏が関係しているそうです。小治田の北は香具山で尾張氏の先祖、香語山命を祭っています。

■持統天皇の三河行幸
天武天皇の意思かどうか分かりませんが当時の国際情勢から信濃への都の移転を考えていたようです。持統天皇の時代になっても同じ動きが出ており、そのために行われたのが三河行幸のようです。こんな事件があったんですね。

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