伊勢の津 歴史散歩
【書 名】伊勢の津 歴史散歩
【著 者】横山高治
【発行所】創元社
【発行日】2007/02/20
【ISBN 】978-4-422-20465-9
【価 格】1500円
津にある別所書店で平積みになっていました。地元、津の歴史なのですが知らない話も多いですね。
■関ヶ原合戦の前哨戦
関ヶ原合戦の前哨戦といえば安濃津城攻防戦です。守るのは東側の富田信高で、攻めるのは毛利秀元です。
富田信高の奥さんが夫の苦戦を見て黒糸おどしの鎧で飛び出して槍をふるっていました。備前の豪族、宇喜田忠家の娘で、なかなか勇猛果敢です。富田信高は最後は降伏し、高野山に上がりますが、関ヶ原合戦の後は伊予宇和島へ。替わりに藤堂高虎が津城主になります。
この安濃津城攻防戦で富田と一緒に戦ったのが伊勢上野城の分部光嘉です。安濃津城近くの津観音境内で最後は16人になるところまで戦い、降伏しました。関ヶ原合戦後は近江の大溝藩2万石藩主となり明治まで続きました。
■細野藤敦
この分部光嘉の兄が細野藤敦で津市安濃町城山にあった安濃城城主でした。織田信長が北畠攻めで伊勢に侵攻してきた時に時代の趨勢を見て分部光嘉は信長に味方しましたが、細野藤敦は最後まで徹底抗戦。織田方も和睦したり、暗殺しようとしたり大変で、最後は根来寺で秀吉とも戦っています。
戦国武将の間で細野家の武名は有名だったようで松坂に入った蒲生氏郷が7000石で迎え入れていれ、やがて家康の時代となった時に、戦国乱世の世をよく真っ直ぐに生きられたと家康に声をかけられています。
■堅物騒動
鰻で有名な新玉亭近くにイチョウの大きな木がありますが、伐採すると祟りがあると昔から言われ、道路沿いに今も健在です。ここは明治になったばかりの時にあった騒動の責任をとり切腹した藤堂堅物(けんもつ)の屋敷跡です。
■東郷平八郎と連合艦隊が津へ
日露戦争の日本海海戦の後に津へ寄ったという話があり、海軍のあった佐賀の三重津造船所と思っていたのですが、津だったんですね。1905年10月13日に東郷平八郎が連合艦隊を率いて津を訪れています。これは藤堂高虎を崇拝する東郷平八郎が水軍司令で有名な高虎が津へ入国する故事を再現したパフォーマンスだったそうです。また伊勢神宮に戦勝報告したそうです。
■安濃鉄道
津新町と椋本を結ぶ軽便鉄道で、戦時の国家総動員法でレールを拠出し、休業に。会社は今も存続しているそうで、年一回の株主総会で休業を延長しているそうです。へ~え。
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