« May 2006 | Main | July 2006 »

2006.06.27

「歴史街道」を駆けぬけた武将たち

 【書 名】「歴史街道」を駆けぬけた武将たち
 【著 者】横山 高治
 【発行所】新風書房
 【発行日】1996/08/01
 【ISBN 】4-88269-339-9
 【価 格】1500円



■出世払い
藤堂高虎が浪人していた頃に吉田(豊橋市)あたりを放浪していた時に餅屋で無銭飲食してしまいましたが、店主に旅費まで助けてもらったそうです。後に伊勢の津藩の藩主となり江戸に向かう途中に、この餅屋で行列を止め、お礼をして家臣一同に餅をふるまったそうで、これが「出世払い」の語源なんだそうです。

■長野工藤氏
津から伊賀上野に向かう途中にあるのが長野峠です。このあたりに長野城を築き本拠にしていたのが長野工藤氏です。曽我兄弟の仇討ちの敵役で有名な工藤祐経が全国の各一箇所の領地を賜って、子孫が移植したところで長野工藤氏の祖は工藤祐経の三男にあたります。

この一族の分部光嘉が17歳の時に信長の伊勢攻めが始まります。一族が信長と徹底抗戦しようとした時に、信長につき一族を破滅から守ります。後に伊勢上野城の城主に。

関が原の合戦の前哨戦として安濃津城の攻防戦が行われました。小西行長、宇喜田秀家などの西軍3万が津城の2千におそいかかりますが、分部光嘉は津の観音堂境内で16人の兵と激しく戦いました。多勢に無勢で和議に、この後に関が原の合戦が起きます。

後に伊勢上野城から近江の大溝に移りますが、大溝藩2万石は明治維新まで続きました。

■岩田川合戦
津の岩田川には百五銀行の本店がありますが、ここで南北朝の戦いが行われました。南北朝の和解で、双方から順番に天皇になるという約束がありましたが、これが反故に。南朝方の北畠満雅が多気から出陣し、幕府軍と岩田川で戦い戦死します。

北畠家は結局、信長に滅ぼされてしまいますが、北畠家の城主の妻が松永弾正の娘です。また大和の兵も多数派遣されていました。信長の北畠家攻撃で全員玉砕してしまいます。翌年、松永弾正が信長を裏切りますが、こんなところに伏線があったんですね。

■関氏
亀山あたりの本拠地をおいていたのが関氏です。平重盛のニ男である資盛が伊勢にいた頃に村の有力者に生ませた子供が祖になり、平氏滅亡の時に鎌倉に護送されますが、頼朝は一命を助けます。北条時政に預けられ、6代後に南北朝の頃に、現在の亀山へ戦国時代には長野工藤氏や北畠氏とよく戦っていました。

→ 『「歴史街道」を駆けぬけた武将たち』

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.06.23

馬・船・常民

 【書 名】馬・船・常民 東西交流の日本列島史
 【著 者】網野善彦、森浩一
 【発行所】河合出版
 【発行日】1992/05/15
 【ISBN 】4-87999-080-9
 【価 格】1800円



考古学で著名な網野善彦氏、森浩一氏の対談集です。対談では、こんな事例がある、それなら資料にこんな記録があると次々と止め処なく、いろいろな事例が出てきます。出てくるということは全部、覚えているんでしょうね。

そういえば梅棹忠夫先生とたまにお話する機会があるのですが、質問すると質問したことの周辺領域も含めていろいろなことを教えていただけます。梅棹先生は目が悪いのでメモを見るわけにはいきません。つまり全部頭の中に整理されて入っています。森氏や網野氏も同じで、全部頭の中に入っているんでしょうね。

・摂関家で、罪に問われた人は「厩に下す」ということで厩が牢獄だった時代があります。

・楠正成は北条氏の家来だった?
楠氏は武蔵国の住人で、河内の和泉に所領をもらってい移り住んだそうで、つまり北条氏の家来だったようです。

・パソコン通信などの匿名文化は平安時代から
平安時代から実名を使わず四郎、三郎などの仮名(けみょう)が使われています。実名は簡単に名乗らず、例えば主従関係を結ぶような場合に実名を書いて主人になるべき人に渡すようなことを行います。

名前で支配されるとは「千と千尋」の映画のようですね。パソコン通信などでハンドル名が使われてるのは、こんなところに根源があるかもしれません。

→ 『馬・船・常民』

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.06.22

中国てなもんや商社

 【書 名】中国てなもんや商社
 【著 者】谷崎 光
 【発行所】文春文庫
 【発行日】1999/12/10
 【ISBN 】4-16-763501-1
 【価 格】524円



文芸春秋から単行本で出ていたのが文庫本になった本です。そういえば主演、小林聡美で松竹で映画化もされています。

ほんの腰掛けのお茶くみOLのつもりで入社した大阪の貿易商社で中国を担当することになり、色落ちするTシャツやポケットの縫いつけられた子供服などが送られて、クレームをつけても相手は決まって、「没問題(メイウェンテイ)」の一言。

華僑のパンダのような上司に仕事を一から仕込まれて、中国への出張もトラブル続きだったのがやがて一人立ちとなかなか大変な中国ビジネスを面白く、おかしく描いています。

このパンダのような上司がなかなか優れたビジネスマンで
「商売は、人が一番大事ですから。なにかしようと思うとき、お金は借りてこれる、場所も探せばある、でも人だけは持ってこれません。仕事は人がするもんですから」などとありがたい訓辞をしてくれます。

天安門事件の時の日本人ビジネスマンの対応もなかなか面白く描かれています。
「ホテルでな、日本人が一番のんびりしてんねん。ビジネスセンターにチケットの手配に最初に並んだのは香港人。次がヨーロッパ人とアメリカ人で、日本の人たち行列見て、なんかあったんですか、とかいってるねん」

と大阪の会社のせいか、出てくる中国人の発音も皆さん関西弁なまりで何とも暖かみのある会話になっています。

中国の縫製工場に行くとファスナーがたるみをつけてつけられており日本ではこんなもの売れないと言っても「没問題」の一言。やおやミシンの前に座って正確にファスナーをつけ、これがOK、これ以外は全部やり直しと工場の壁に貼るシーンなどが出てきます。清潔などという文化が日本とは違いますので、この壁を乗り越えるのが大変です。

以前、中国へに行った時に日本のメーカーの工場には至る所に写真が貼られていました。「整理整頓した状態はこの写真の状態」と写真で誰にでも分かるようにするには見せるのが一番というのが総経理の印象的な言葉でした。

→ 『中国てなもんや商社』

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.06.17

われら戦後世代の「坂の上の雲」

 【書 名】われら戦後世代の「坂の上の雲」
 【著 者】寺島 実郎
 【発行所】PHP新書
 【発行日】2006/04/28
 【ISBN 】4-569-64963-7
 【価 格】700円



寺島氏が10年毎に出した5つの論文から構成されています。

■大学の役割
セクショナリズムを廃止して、現代社会が抱える諸問題を、あらゆる専門領域の知識と知恵を結集して挑戦するべきだとあります。大学人のすべてが問題に対して討論会、ゼミ、論文などで参加しなければならないという提言はなかなか面白いですね。

認知心理学や一時期流行ったAI(人工知能)ではそういうことも行われましたが、今はまた元に戻っている感があります。

■団塊の世代の教育
少年Aの両親が書いた手記を見ると、普通の生活や躾については書かれているが、実は書かれていないことがあります。それは「社会」や「時代」のような言葉で、時代の課題に親がどう関与しているかが全然書かれていないそうです。

大人はカセギ(経済的自立)も大切ですが、ツトメ(共同体維持のための公的貢献)もできなければなりません。日本の場合は民主主義といいながら実は私生活主義がいきすぎているのではないかという警告です。

今こそ「団塊の世代」が規範にならないといけないという提言になっています。

→ 『われら戦後世代の「坂の上の雲」』

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.06.16

真説・智謀の一族 真田三代

 【書 名】真説・智謀の一族 真田三代
 【著 者】三池 純正
 【発行所】洋泉社新書
 【発行日】2006/06/21
 【ISBN 】4-86248-039-X
 【価 格】820円



真田一族の先祖はよく分かっていませんが、信濃の名門であった滋野氏と密接に関係があったようです。この一族は一度は没落しましたが、真田が武田信玄のもと復興、発展させ、信長、秀吉、家康の時代にわたり守り抜きました。

真田と言えば関が原に向かう秀忠軍を釘付けにして関が原へ遅参させたことが有名ですが、どうも真相は違うようです。

上杉攻めのために宇都宮あたりにいた秀忠軍に家康がすぐに中仙道を行くように伝えたため、中仙道を行軍しましたが小諸あたりで路銀が不足してしまったようです。そこで、路銀の調達に本田正信が江戸に行っている間に、目の前の上田城を攻めました。それを追い払うために真田昌幸が兵を出した程度の小競り合いでした。

ところが結果的に関が原に遅参となったため、まさか路銀の不足とは言えず、家康も秀忠の名誉のために真田に罪をなすりつけたのが真相のようです。

いずれにしても六連銭の旗印を掲げ、最強の徳川に三度も挑み、三度とも退けた真田の名前は語り継がれることになります。

→ 『真説・智謀の一族 真田三代』

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.06.14

卑弥呼はふたりいた

 【書 名】卑弥呼はふたりいた
 【著 者】関 裕二
 【発行所】ワニ文庫
 【発行日】2001/7/5
 【ISBN 】4-584-39129-7
 【価 格】590円



週末に津から東大阪へ戻る途中に八木駅があります。京都-橿原神宮と伊勢-難波が交わる駅で、近鉄特急の時間待ちのためにホームにある本屋(若草書店)にいつも立ち寄っています。

飛鳥や三輪山がすぐ近くというせいか、よく古代を扱った歴史物を平積みしていますが、これもその1冊です。

邪馬台国の時代に、魏志に載った国ともう一つ別の国があり、そちらにも女王(神宮皇后)がいたのではないかと実に壮大な内容です。

鳥越憲三郎氏の邪馬台国東遷説とも違い、けっこう面白い論です。

→ 『卑弥呼はふたりいた』

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.06.11

東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ

 【書 名】東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ
 【著 者】遥 洋子
 【発行所】筑摩書房
 【発行日】2000/01/20
 【ISBN 】4-480-81815-4
 【価 格】1400円



関西の番組を中心に活躍されているタレント「遥 洋子」が東大で上野千鶴子の社会学ゼミで学んだエッセィです。

巻末にはいかに言葉でケンカするのかノウハウがまとめられていますが、最後のノウハウが「勉強する」になっています。言葉を活用してケンカするには、それなりのバックボーンが必要になり、しっかりした準備が必要ということです。

■社会科学の文体は難解であってはならない
難解な社会学の論文に取り組んでいる時の上野教授の言葉です。

「文章が難解であるとすれば、たんに悪文であるか、それとも書き手自信にとって未消化のことがらを書いているからにすぎない。」

難しいことを分かりやすく書く、これが一番難しいですね。梅棹先生もよくおっしゃっています。

■オリジナリティは情報の真空地帯には発生しない!
山のような文献に取り組んでいる時の上野教授の言葉です。

オリジナルは自分一人では存在せず、少しでも多くの情報を知ることで、その違いから自分のオリジナリティが出てくる。

だから研究者はたくさんの文献を読まないといけないんですね。

■価値あるものだから交換されるのではない、交換されるから価値がある
「はじめての構造主義」という本に出てくる言葉です。

(知の特権化)お金も知も使って初めて値打ちが出る。東大出身者の就職先が大学なら、知は特権的エリアを順繰りに回っていることになる。
(知の私物化)結婚して家に入ってしまう。
(知の独占)社会に出ても、知の交換をしない。

Wikipediaなどが登場し、知がネットを通じて交換できる基盤ができつつあります。これもWeb2.0の特色のひとつですね。

→ 『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』(文庫)

| | Comments (0) | TrackBack (1)

2006.06.09

織田信長 破壊と創造

 【書 名】織田信長 破壊と創造
 【著 者】童門 冬ニ
 【発行所】日経ビジネス人文庫
 【発行日】2006/05/01
 【ISBN 】4-532-19346-X
 【価 格】838円



日経ビジネスに1年間にわたり連載されていたものをまとめたものです。日経ビジネスですので歴史物でありながらビジネスよりの視点が書かれ面白い信長論となっています。

■槍の試合
秀吉と槍奉行の上島主水の試合。双方50名ずつの足軽で戦いました。上島は一人一人に槍の技を教えました。

秀吉は50人を3つの班にわけ、最前列の班は槍をふって相手の足を払い、二段目の班は槍で頭を殴らせ、三段目の班突き倒しました。結果は秀吉の圧勝です。個人の力でなく組織力で戦った成果でした。

■安宅船
本願寺に対する海上封鎖を突破しようとする毛利軍の目の前に現われたのが鉄で船体を覆った安宅船です。この安宅船はもともと淡路島の海賊、安宅甚五郎の造る船のことを差していたそうです。

→ 『織田信長 破壊と創造』

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.06.05

江戸時代の設計者

 【書 名】江戸時代の設計者
 【著 者】藤田 達生
 【発行所】講談社現代新書
 【発行日】2006/03/20
 【ISBN 】4-06-149830-4
 【価 格】740円



副題が『異能の武将 藤堂高虎』です。外様大名ながら家康の腹心として働いた藤堂高虎です。

自分の求める主君を探すためにいろいろと渡り歩き、ついにめぐり合ったのが秀吉の弟の秀長です。秀長の重臣として活躍しますが、やがて秀長が死に、甥の秀保が継いだので、盛り立てますが、この秀保も17歳の若さで死んでしまいました。もう武士をやめようと高野山に入りますが、惜しんだ秀吉が説得してまた武士に復帰します。

■大阪夏の陣、冬の陣
きっかけは方広寺の鐘に「国家安康」の文字があり、家康を呪詛するものだという難癖ですが、まず指摘したのが以心崇伝です。この以心崇伝は藤堂高虎の奥方の親戚にあたります。

また大阪冬の陣が終わった後に鐘銘を起草した東福寺の文英清韓と鐘を製作した鋳物師辻家を高虎の領地である津に迎えて保護したという後日談があります。黒幕は高虎だったんですね。

■なぜ再利用されるのか
城郭を作る際に、古い城の城郭を移築することがよく行われています。これは木材は切り出して、すぐには反って加工できないので、ある程度ねかせておく必要があるからです。そこで旧材が珍重されることになります。

→ 『江戸時代の設計者』

| | Comments (0) | TrackBack (0)

2006.06.01

絶妙な手帳メモの技術

 【書 名】絶妙な手帳メモの技術
 【著 者】福島 哲史
 【発行所】明日香出版社
 【発行日】2005/11/30
 【ISBN 】4-7569-0919-1
 【価 格】1300円



5月23日に知的生産の技術研究会・関西で本と同じ『絶妙な手帳メモの技術』のタイトルで講演いただきました。

最初に参加者からセミナーで聞きたいことをヒアリングしながら、それに答える形でスタートし、やがて手帳メモの極意に。

この本にも記載されていますが講演など聞くときは
第一段階:とにかく講師の話した内容を書く。
第二段階:講演を聞きながら自分の意見を書く。
第三段階:講演を聞きながら明日から行動することを書く。

とレベルがあるそうです。私はまだまだ第一段階ですね。(笑)

またいつでもどこでもメモできることが重要だと書かれています。思いつきやアイデアは「メモしてもしなくてもかまわないくらい」のあいまいさなので、ここでメモをとるかどうかで人生の分かれ目ともあります。

確かに思いついて、これはすごいなあと自分で思いながらメモしなかったために、後でさっき思いついたすごいことは何だったんだろうという経験が多々あります。

→ 『絶妙な手帳メモの技術』

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« May 2006 | Main | July 2006 »