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2006/05/16

龍馬と新撰組の京都

 【書 名】龍馬と新撰組の京都
 【著 者】武山峯久
 【発行所】創元社
 【発行日】2001/11/15
 【ISBN 】4-422-20142-5
 【価 格】1300円



京都岡崎の「春の古書大即売会」で竹岡書店の棚で見つけ買ってきました。これが著者署名本で、献呈者の名前も入っていました。そんな本を古本屋さんに売るとは。

幕末に焦点を当てて京都の史跡ガイドになっています。知らなかった発見もいくつかありました。

■いよいよ果ての二十日どすなぁ
西陣のお年寄りが暮れの押し迫った時の挨拶の言葉です。語源は六角にあった政治思想犯専門の牢、六角獄舎で、年末12月20日が御用納めの日でした。獄舎浪人にとっても同じで、この日に刑の執行や言い渡しが行われたところから転じました。こんな挨拶言葉があったんですね。

■薩摩藩邸の門
同志社大学・今出川キャンパスの地下鉄近くに薩摩藩邸の門が残り、今も学生が使っています。同じ門を西郷隆盛や坂本龍馬、また薩長同盟におもむく桂小五郎が通ったことは昔から有名で、みんな知っていると思っていたらどうも違うんですね。学生は夢にも知らない、と書かれていました。

■三条大橋の擬宝珠
東海道の起点である三条大橋ですが、擬宝珠(ぎぼし)がのっています。中には建設当時の秀吉の時代のものが残っているんですね。これは知りませんでした。

■大政奉還
二条城の大政奉還というと慶喜が各藩の重役を集めて言い渡したイメージが強いのですが、実際は重役が揃ったところで、書面をまわし意見のあるものは残りなさいということで6名が残りました。この6名が慶喜に拝謁したのみで重役の前には出ていなかったそうです。

■龍馬暗殺計画は分かっていた?
11月13日新撰組を脱退した伊東甲子太郎が訪ねてきて、危ないので土佐藩邸に移るように言われたが龍馬は無視。
11月14日伏見・寺田屋のお登勢が暗殺の噂を伝えます。伏見からわざわざ出てくるのである程度確証があったのでしょう。
結局、11月15日に近江屋で暗殺されてしまいます。

→ 『龍馬と新撰組の京都』

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