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2006/05/05

龍馬の金策日記

 【書 名】龍馬の金策日記
 【著 者】竹下 倫一
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2006/05/05
 【ISBN 】4-396-11038-3
 【価 格】760円



京阪中書島で降りて、寺田屋へ行ってきました。2階に龍馬がよく使っていた部屋が残っており柱には弾痕の跡も残っています。

さて、その寺田屋も出てきますが龍馬はいったいどうやって稼いでいたのかという視点からの本です。

土佐藩を脱藩してからも実家から何がしかの援助を受けていたそうです。一番会計的に楽だったのは勝海舟と出会って海軍塾に入っていた頃です。ただこれも解散となってしまいます。

ただし、この頃には坂本龍馬といえばかなりの有名人で、自分の稼ぎの心配いりませんでしたが、ところが龍馬をしたって集まってくる連中をなんとかしなければなりません。

そこで出来たのが海援隊と陸援隊(中岡慎太郎)です。土佐藩では尊皇攘夷運動を行う藩士を保護していなかったので、その脱藩者を支援する目的がそもそもの発端でいた。

また明治の元勲のほとんどが長男でしたが、龍馬だけ次男だったので経済感覚が優れていたというのも面白い視点です。確かに長男ということで家を継げばよいと育った連中と、世に出るのも大変だった次男以降では経済観念がだいぶ違っていたようです。

■龍馬が新撰組に?
清河八郎が幕府に浪士隊を建白しますが、幹部候補生12名の中に龍馬の名前が入っていました。龍馬と清河八郎とは千葉道場つながりでしたが、結局、龍馬は参加せず、やがて浪士隊から新撰組が生まれます。ひょっとしたら浪士隊に参加した可能性もありますが、勝海舟が浪士を集めて海軍を興そうと海軍塾を作り、こっちへ参加することになります。

■藤岡屋日記
亀山社中のまんじゅう屋近藤長次郎の自刃については当時からいろいろと噂になっていたようです。江戸時代の有名な古本屋であった藤岡屋日記によると長州人の英国への密航がからんでいたそうで、どうも高杉晋作が関係していたようです。ちょうど薩長同盟締結など微妙な時で、近藤長次郎が一身に責任を負い、自刃したのが真相のようです。

→ 『龍馬の金策日記』

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