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2006.05.25

酒場百選

 【書 名】酒場百選
 【著 者】浜田 信郎
 【発行所】ちくま文庫
 【発行日】2006/5/12
 【ISBN 】4-480-42213-7
 【価 格】924円



パソコン通信Nifty-ServeでFchiken(知的生産の技術)フォーラムのスタッフをしておりましたが、その時のスタッフの一人が著者の浜田さんです。

当時から、「居酒屋礼賛」というウェブサイトを立ち上げ、訪れた居酒屋の料理やお酒などを紹介されていました。東京にホッピーなるものがあるのを知ったのもこの居酒屋礼賛からでした。この頃は関西でも飲ます店がチラホラ出てきました。

それにしても訪れた居酒屋の数が半端ではなく、こんなに飲んでてよく体がもつなと感心することしきり。今では都内を中心とした居酒屋の一大データベースとなっています。

この一大データベースの中から約100軒の酒場を選んで地区別に紹介されています。東京で飲むなら必携ですね。

神田、日本橋界隈  深川、月島界隈   上野、浅草界隈
銀座、有楽町界隈  池袋界隈      渋谷、恵比寿界隈
四谷、飯田橋界隈  新宿界隈      中野、高円寺界隈
新井薬師、野方、鷺宮界隈        阿佐谷、荻窪、吉祥寺界隈

→ 1995年4月~2003年3月までNifty-Serve(@Nifty)にあったFchiken(知的生産の技術)フォーラムの遺跡です。

→ 『酒場百選』

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2006.05.24

検定お伊勢さん 公式テキストブック

 【書 名】検定お伊勢さん 公式テキストブック
 【編 集】伊勢市商工会議所、伊勢文化舎
 【発行所】伊勢市商工会議所、伊勢文化舎
 【発行日】2006/04/24
 【ISBN 】4-900759-31-7
 【価 格】1365円



京都検定などのご当地検定が流行っていますが、「検定 お伊勢さん」の公式ガイドブックです。三重県の本屋に並んでいます。

伊勢では2013年の遷宮に向けて、いろいろなお祭りが始まっています。

伊勢神宮の鳥居をくぐり、巨木の下を玉砂利を踏んでいると、いかにも神域という雰囲気で
「何事のおはしますかは知らねども
  かたじけなさに涙こぼるる」
という西行の句が浮かんできます。

■風日祈宮
内宮への参道の途中を曲がったところにありますが、もともとは摂社だったんですね。元寇の時に神風を起こしたということで別宮になりました。外宮の風宮も同じです。幕末には英国軍艦への攘夷祈願が行われました。

■遷宮(再利用)
内宮、外宮の旧正殿の棟持柱が再利用され、宇治橋の大鳥居になります。さらに20年後の次の遷宮のときに、内の鳥居が関の追分の鳥居に外の鳥居が桑名の七里の渡しの鳥居に再利用されます。

■かわいい子には旅をさせろ
抜け参りということで柄杓を持ち白衣を着て参宮すると、街道ではいろいろな施行を行って参宮を助けてくれました。美濃(岐阜)では子供が12,3歳になると親が子供を抜け参りに出るように仕向けていました。道中でいろいろな人に旅の情けをかけてもらい、一人では生きられないことを子供に認識させるためでした。今なら危なくて、とてもできませんね。

■伊勢弁
ずっと標準語と思っておりました。

あじごはん(炊き込みご飯)   おっさん(僧侶)
かす(米を研ぐ)        こそばい(くすぐったい)
さら(新しい)         しまう(片付ける)
せく(急ぐ、焦る)       そばえる(じゃれる)
つむ(混む)          とごる(沈殿する)
ぬくたい(暖かい)       ぬくとめる(暖める)
ひやかい(冷たい)       へり(縁)
ほる(捨てる          ゆわえる(結ぶ)

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2006.05.20

古代史謎解き紀行1ヤマト編

 【書 名】古代史謎解き紀行1ヤマト編
 【著 者】関 裕二
 【発行所】ポプラ社
 【発行日】2006/3/8
 【ISBN 】4-591-09192-9
 【価 格】1300円



古代史にまつわるドラマを軸に奈良を紹介していますが、一連の著者の本と違い、エッセイ風になっていて気軽に読めます。

例えば奈良の名物旅館であった日吉館に20年前に泊まった話が出てきます。八畳ぐらいの部屋に10人ほどが相部屋で雑魚寝する変わった旅館ですが冬というのに暖房設備はなく、おまけに古い建物ですきま風も入ってきます。

消灯時間近くに仲居のおばちゃんが「湯たんぽ」を売りに、常連客が次々に買うので著者も買いますが、著者の有人は「湯たんぽを売りにくる宿がどこにある」と笑い転げて買わずじまい。奈良の底冷えで悲惨な一夜をおくることになります。

■竹取物語
藤原氏の全盛を嘆く貴族が、藤原氏をこき下ろすのが目的で竹取物語が書かれたという話は有名ですが、実在の人物の名前を書いていたんですね。しかも江戸時代の国学者・加納諸平が既に指摘していたそうです。

かぐや姫に求婚する殿方
・石つくり(作)の御子
・右大臣あべのみむらじ
・大納言大伴のみゆき
・中納言いそのかみまろたり(石上麻呂足)
・くらもちの皇子

古代の官僚名簿「公卿補任」の文武5年(701)にそっくりな名前が出てきます。
・左大臣多治比嶋(たじひのしま)
・右大臣阿部御主人(あべのみむらじ)
・大納言大伴御行(おおとものみゆき)
・大納言石上麻呂(いそのかみのまろ)
・大納言藤原不比等

3人はそっくりですが、多治比嶋は一族に石作氏がいたそうです。
くらもちの皇子は藤原不比等の母親が車持氏(くるまもち)の出身で、語呂が似ているからここから隠語的に使ったのではという説です。藤原の全盛期にあからさまにはできなかったようで。

→ 『古代史謎解き紀行1ヤマト編』

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2006.05.16

龍馬と新撰組の京都

 【書 名】龍馬と新撰組の京都
 【著 者】武山峯久
 【発行所】創元社
 【発行日】2001/11/15
 【ISBN 】4-422-20142-5
 【価 格】1300円



京都岡崎の「春の古書大即売会」で竹岡書店の棚で見つけ買ってきました。これが著者署名本で、献呈者の名前も入っていました。そんな本を古本屋さんに売るとは。

幕末に焦点を当てて京都の史跡ガイドになっています。知らなかった発見もいくつかありました。

■いよいよ果ての二十日どすなぁ
西陣のお年寄りが暮れの押し迫った時の挨拶の言葉です。語源は六角にあった政治思想犯専門の牢、六角獄舎で、年末12月20日が御用納めの日でした。獄舎浪人にとっても同じで、この日に刑の執行や言い渡しが行われたところから転じました。こんな挨拶言葉があったんですね。

■薩摩藩邸の門
同志社大学・今出川キャンパスの地下鉄近くに薩摩藩邸の門が残り、今も学生が使っています。同じ門を西郷隆盛や坂本龍馬、また薩長同盟におもむく桂小五郎が通ったことは昔から有名で、みんな知っていると思っていたらどうも違うんですね。学生は夢にも知らない、と書かれていました。

■三条大橋の擬宝珠
東海道の起点である三条大橋ですが、擬宝珠(ぎぼし)がのっています。中には建設当時の秀吉の時代のものが残っているんですね。これは知りませんでした。

■大政奉還
二条城の大政奉還というと慶喜が各藩の重役を集めて言い渡したイメージが強いのですが、実際は重役が揃ったところで、書面をまわし意見のあるものは残りなさいということで6名が残りました。この6名が慶喜に拝謁したのみで重役の前には出ていなかったそうです。

■龍馬暗殺計画は分かっていた?
11月13日新撰組を脱退した伊東甲子太郎が訪ねてきて、危ないので土佐藩邸に移るように言われたが龍馬は無視。
11月14日伏見・寺田屋のお登勢が暗殺の噂を伝えます。伏見からわざわざ出てくるのである程度確証があったのでしょう。
結局、11月15日に近江屋で暗殺されてしまいます。

→ 『龍馬と新撰組の京都』

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2006.05.10

神さまと神社

 【書 名】神さまと神社
 【著 者】井上 宏生
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2006/03/05
 【ISBN 】4-396-11035-9
 【価 格】760円



副題は「日本人なら知っておきたい八百万の世界」です。

初詣など、よく神社へお参りに行きますが、祭神にも気にせず商売繁盛の神さんと言われているのでお願いしておこうかなどけっこういいかげんです。そこで神社とはどういう存在なのかいろいろと学べる本になっています。

■神主になるには
神主の資格は上から浄階、明階、正階、権正階、直階とあります。資格を得る方法は、いろいろとありますが、多いのが國學院大學または伊勢の皇學館大学で神職の養成過程に通うことです。単位を取得すると明階になります。

■春日大社
奈良にある藤原氏の氏神でもある春日神社ですが、祭神は鹿島神宮のタケミカヅチノミコト、香取神宮のフツヌシノミコト、あとは大阪・枚岡神社のアメノコヤネノミコト、ヒメカミを迎えて作られました。近くにある枚岡神社については元春日などと名前がついているので知っていましたが、遠く鹿島神宮や香取神宮からも迎えていたんですね。

その鹿島神宮には、万葉集の時代に神宮に集まってから防人の任務についたそうで、長旅に出ることを「鹿島立ち」と言っております。

■罪の語源
ツツシミが語源で、元来は罪を犯さないように謹慎していることがツミだったそうです。

■徳川家の三葉葵
徳川家は三河の賀茂郡が発祥で、賀茂の神社の神紋が三葉葵だったことか家紋にしたのが発端だったそうです。

→ 『神さまと神社』

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2006.05.06

考証織田信長事典

 【書 名】考証織田信長事典
 【著 者】西ケ谷恭弘
 【発行所】東京堂出版
 【発行日】2000/09/20
 【ISBN 】4-490-10550-9
 【価 格】2800円



ファミリー会東海支部で『郷土の三英傑に学ぶ』シリーズを書いていた時に活用した本です。当時はパラパラと参照しただけで、初めから読んだのは今回が初めてです。

信長を中心とした事典で巻末には索引もついています。信長の兄弟がどうなったかなど、細かいところまで記載されています。また織田家は明治維新時に四家が大名家として続き、旗本でも高家が三家など九家が幕末まで続きました。

■比叡山の焼き討ち
比叡山一帯が焼き討ちされたイメージがありますが、延暦寺根本中堂などを初めとする堂などでは焼失の痕跡が見つかっていません。比叡山山麓・坂本地区の塔頭や日吉山王神社などが焼き討ちにあったのは事実で、これが比叡山全体のようなイメージに変わってしまったよう
す。

■本能寺の変はなぜ6月2日だったのか?
『信長は謀略で殺されたのか』という本がありましたが、この本では光秀単独説をとっています。

信長は馬揃を行い正親町天皇の譲位を迫っていましたが、譲位により即位するのは、信長と親密な関係にあった誠仁親王で、また皇太子となるのは信長の養子である五の宮となります。五の宮が皇太子となれば信長は太政天皇になります。

歴史上、武家の棟梁が太政天皇の地位に登ったのは平清盛と足利義満だけで、この計画に気づいたのが光秀でした。馬揃の準備などで天皇家や公家などを回るうちに、何とかしなければと思ったのでしょう。

この計画の一環で天下人の地位を信忠に譲るために息子・信忠への推任を待っていました。ちょうど決定通知があり、急ぎ上洛して本能寺に泊まりお礼の茶会を行いました。信長の周りに軍隊がいない空白が生じました。また本能寺の変が起きた6月2日に信長、信忠は参内して叙任を受ける予定でした。6月2日未明に本能寺の変が起きた理由はこれが原因というのがこの本での説です。

本能寺の変については最後に書かれていますが、全編にわたって信長の歴史や、信長にまつわる人物について学べます。信長のお母さんである土田御前が本能寺の変の後、伊勢の津へ行き、津の四天王寺に墓があるときちんと記載されています。

→ 『考証織田信長事典』

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2006.05.05

龍馬の金策日記

 【書 名】龍馬の金策日記
 【著 者】竹下 倫一
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2006/05/05
 【ISBN 】4-396-11038-3
 【価 格】760円



京阪中書島で降りて、寺田屋へ行ってきました。2階に龍馬がよく使っていた部屋が残っており柱には弾痕の跡も残っています。

さて、その寺田屋も出てきますが龍馬はいったいどうやって稼いでいたのかという視点からの本です。

土佐藩を脱藩してからも実家から何がしかの援助を受けていたそうです。一番会計的に楽だったのは勝海舟と出会って海軍塾に入っていた頃です。ただこれも解散となってしまいます。

ただし、この頃には坂本龍馬といえばかなりの有名人で、自分の稼ぎの心配いりませんでしたが、ところが龍馬をしたって集まってくる連中をなんとかしなければなりません。

そこで出来たのが海援隊と陸援隊(中岡慎太郎)です。土佐藩では尊皇攘夷運動を行う藩士を保護していなかったので、その脱藩者を支援する目的がそもそもの発端でいた。

また明治の元勲のほとんどが長男でしたが、龍馬だけ次男だったので経済感覚が優れていたというのも面白い視点です。確かに長男ということで家を継げばよいと育った連中と、世に出るのも大変だった次男以降では経済観念がだいぶ違っていたようです。

■龍馬が新撰組に?
清河八郎が幕府に浪士隊を建白しますが、幹部候補生12名の中に龍馬の名前が入っていました。龍馬と清河八郎とは千葉道場つながりでしたが、結局、龍馬は参加せず、やがて浪士隊から新撰組が生まれます。ひょっとしたら浪士隊に参加した可能性もありますが、勝海舟が浪士を集めて海軍を興そうと海軍塾を作り、こっちへ参加することになります。

■藤岡屋日記
亀山社中のまんじゅう屋近藤長次郎の自刃については当時からいろいろと噂になっていたようです。江戸時代の有名な古本屋であった藤岡屋日記によると長州人の英国への密航がからんでいたそうで、どうも高杉晋作が関係していたようです。ちょうど薩長同盟締結など微妙な時で、近藤長次郎が一身に責任を負い、自刃したのが真相のようです。

→ 『龍馬の金策日記』

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2006.05.04

「へんな会社」のつくり方

 【書 名】「へんな会社」のつくり方
 【著 者】近藤 淳也
 【発行所】翔泳社
 【発行日】2006/02/13
 【ISBN 】4-7981-1052-3
 【価 格】1500円



『Web2.0』が話題となり、事例としてよく登場する「はてな」社長が執筆した本です。

近藤社長は三重県・菰野町の出身で、生徒会での出来事など、この頃のいろいろなルールや取り決めなどに対する疑問が「はてな」の出発点になっています。

例えば田舎には車が来ない交差点があります。では歩行者は赤でも止まるべきでしょうか?

信号を「その場所に居合わせた当事者間の約束事」と考えてしまえば、赤でも進んでもかまわないでしょう。信号を「社会との約束事」と考えてしまうと車が来なくても赤でも止まる必要があります。

ただし本当にその信号が必要なのか、信号のタイミングはもっと短くならないのか考えるべきことはたくさんあります。ところが世の中には適当に決められているルールが意外に多いのではないかが近藤社長の出発点になっています。あまりこういうことを考える人はおりませんので、そこが「はてな」の魅力になっているんでしょうね。

※昔、シンガポールのリークアンユー首相が日本を訪れた時に車窓から見た真夜中の信号で、車が通らない信号でも赤できちんと待っている歩行者に感激して、シンガポールもこういう国にしようと決意した逸話があります。今ではこの「社会との約束事」をしっかり守る日本人も減ってしまいました。

はてなで行われている立ったままで行う会議、「あしか」という進行管理システムなどなどが紹介されています。本当に「へんな会社」なんですね。もっとも読んでいると、「はてな」の方がよっぽどマトモな会社のような気がしてきます。

『Web2.0』では集合知がテーマの一つで、皆で作る百科事典Wikipedia(ウィキペディア)と共に「はてなブックマーク」が事例としてよく紹介されていますが、この本の冒頭に面白い言葉が掲載されています。

『インターネットは知恵を預けると利子をつけて返してくれる銀行のようなものだ』

まさしくそうですね。

また後書きにこの本は大人向けのビジネス書コーナーに置かれるが、本当は高校生や大学生に読んでほしいというメッセージが書かれています。
→ 『「へんな会社」のつくり方』

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2006.05.03

古書大即売会でゲット!

春の古書大即売会
京阪三条から白川沿いに岡崎まで歩き、京都市勧業館(みやこめっせ)へ

「春の古書大即売会」(主催:京都古書研究会)です。

入口で荷物を預け、黄色いカゴを受け取って、いざ会場へ

今日(5/3)はちょうど開催日の中日のせいか、人が多いですね。棚と棚との間を通るだけでも大変です。

今回は出店数が多く、端から端までじっくり見ていると、とてもじゃないですが時間が足りません。というわけでざっと見ていくことに。特に探求書はありませんでしたが、それでも面白そうな本を7冊ほどゲット。

古書即売会といえば通常はおじさんばっかりなのですが、そこは京都らしく学生が多いですね。あと女性も多く、また浮世絵や画集などを外国人があさっているのも京都らしいですね。

さて会場をだいぶ歩きましたので、最後に会計を

隣のレジでは画集などをカゴ一杯30冊ほど買い込んでいる御仁がいました。
もちろん持って帰れませんので、送る手配をしていましたが、いいなあ、あんなに買える資力があって。うらやましい。

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