街道をゆく12 十津川街道
【書 名】街道をゆく12 十津川街道
【著 者】司馬遼太郎
【発行所】朝日文庫
【発行日】1983/3/20
【ISBN 】4-02-260182-5
【価 格】420円
■大塔村へ
先日、奈良の大塔村にある「星のくに」へ行ってまいりました。五条から十津川街道に入り、山深い道を越えていきます。大塔村の名前は後醍醐天皇の第一皇子大塔宮護良親王から名付けられています。
後醍醐天皇が籠もる笠置山が陥落した後、護良親王は鎌倉幕府の追撃をふりきり、大塔村を中心に活動しました。鎌倉幕府追討の「令旨」を発し、ついに討幕を成し遂げました。いわゆる南北朝時代の始まりです。
さて、大塔村で夜空を見上げると満天の星です。久しぶりに天の川を見ました。
■谷瀬へ
せっかく、大塔村まで来たのでさらに奥の十津川を目指しました。
道はさらに細くなり、十津川にそった山の斜面にはいつくばるようについています。蜀の桟道がありますが、本当にあんな感じですね。今は観光地となり、整備されてきましたが、まだまだ山深い所です。
十津川は昔からたびたび歴史に登場します。幕末には十津川郷士の活躍で有名です。そういえば坂本龍馬が近江屋で暗殺された時に暗殺者が龍馬を油断させるために渡した名刺が十津川郷士の名刺でした。
田が出来るような耕地も無いため、古代からずっと免税地でした。それを実現するために色々と人的な奉仕をしていました。家康の大阪攻めには1000名が出兵しています。
幕末には御所の門の警備も行っていました。薩長が御所内で暗躍していた頃、孝明天皇が「今日の門番は十津川の者だから安心して眠れる」という言葉が残っています。公家も派閥に分かれた中で、山村の純朴な兵は孝明天皇にとって貴重だったようです。
さて、『街道をゆく12 十津川街道』ですが五条から十津川をめざす道々で、天誅組事件や様々な歴史的事件が語られます。新撰組に追われた田中光顕は十津川のさらに奥まで逃げてきたそうです。
司馬氏も赤紙が来て、戦地に行く前に友人と十津川を目指して歩いたそうで、そのエピソードも語られています。
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