龍馬の手紙
【書 名】龍馬の手紙
【著 者】宮地佐一郎
【発行所】PHP文庫
【発行日】1995/8/15
【ISBN 】4-569-56794-0
【価 格】940円
全ページにわたり上に坂本龍馬自筆の手紙の写真、下にその内容と解説というスタイルです。写真の手紙は見ても何が書いてあるか分かりませんよくこんな古文書が読めるものです。
本には現存している136通の手紙が載っています。慶応3年11月14日暗殺される前日までの手紙が残っています。中には龍馬お得意の海戦図などを書いたのもあり、これは写真を見るだけで楽しめます。
お龍への手紙が一番残っていそうですが、龍馬亡き後、お龍が明治初年に一時土佐に身を寄せ、上方に去る際に、焼き捨てたため残っているのはわずかに1通だけです。
坂本龍馬が暗殺されたと聞いた時、西郷は後藤象二郎を捕まえて「オイ、後藤、貴様が苦情を言わずに土佐屋敷へ入れて置いたなら、こんな事にはならないのだ、土佐の奴等は薄情でいかん」と怒鳴りつけ「土佐、薩摩を尋ねても外にあの位の人物は無いわ、ええ惜しいことをした」と流石の西郷も泣きに泣いたと「反魂香」に記録されています。
■神戸加納町
紀州の材木商に加納宗七がいて、同じ紀州藩出身の陸奥宗光と懇意でした。海援隊との間で起こった「いろは丸事件」でうらみに思った紀州藩の藩用人が龍馬暗殺を企てたとみなして海援隊と共に商人ながら切り込んでいます。
維新後、海軍塾ゆかりの神戸で船問屋を営み、神戸港の築港や生田川の改修に私財を投じて骨をおり、今も加納町と名前を残しています。
■龍馬の和歌
いくつかの和歌も残しています。
湊川にて
「月と日のむかしを
しのぶみなと川
流れて清き菊の下水」
菊の下水は「菊水」つまり楠正成の家紋です。正成の残した志が今も清く流れている。湊川だけでなく、龍馬自身にも流れているという歌です。
伏見より江戸へ旅立つとき
「又あふと思う心をしるべにて
道なき世に出づる旅かな」
お龍に与えた歌で、また会うことができるだろうというその心だけを頼りに、道もない世の中へ出ていくと歌です。
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