米朝ばなし 上方落語地図
【書 名】米朝ばなし 上方落語地図
【著 者】桂 米朝
【発行所】毎日新聞社
【発行日】1981/8/5
【価 格】2000円
神保町の豊田書房で見つけてきた本です。毎日新聞の大坂版に連載されたものをまとめた本で大坂や京都の各土地を落語の舞台として紹介しています。
■新地
大阪の飲屋街、キタの新地ですが、川村瑞軒が元禄元年に堂島側を改修しその土砂を北岸に盛り上げてできたのが発端です。新地開発のため茶屋を開くことが許されてこれが北新地になります。
■鶴の茶屋
梅田の北東にファッショナブルなビルがたくさん並んでいますが、ここに鶴の茶屋という料亭がありました。鶴野町、茶屋町という地名として現在に伝わっています。落語の「裏の裏」にこのお茶屋に行く話が載っています。
■十三
十三の語源って淀川の上流から数えて十三番目の渡しから来ていたんですね。昔はへんぴなところで野施行(のせんぎょう)が行われていました。
十三には当時、キツネが多く出たようで、キツネの好きな油揚げや赤飯のにぎりめしなどを持って、野山に行き、キツネに与えるというのが野施行です。供養を兼ねた一種の遊びでした。「吉野狐」という落語では芸者やたいこもちを連れて野施行に行く話になっています。
■雁風呂
「雁風呂」という落語があります。渡り鳥の雁が海を越える時に木の枝をくわえるか足につかんで渡ります。疲れると海に落としてその上で休むのだそうです。日本についたら蝦夷松前の函館の一つ松という大きな木に枝を置いて、一冬過ごして、また北に帰る時にこの松で勢揃いして、飛び立ちます。
残った枝の数だけの雁が日本で死んでいったわけで、土地の人が雁の供養と枝で風呂を湧かせて旅の人にふるまったそうです。落語では、これを淀屋が水戸のご老公に教える話になっています。
これってサントリーがかなり昔、コマーシャルで「哀れな話だな」とやっていたあの話と全く同じですね。コマーシャルでは漁師が海岸で枝を焚き火にして供養する話で、その話を聞きながらウイスキーを飲むという格調高いコマーシャルですが、有名な話だったようですね。
米朝も落語の元になった出典は分からないということですが、力学的に雁がくわえて空飛べますかいなと一言です。
■曾根崎心中
曾根崎心中の舞台って東梅田のあの曾根崎神社のところばっかりだと思っていたんですが、実際に心中したのは桜宮の大長寺だそうです。
■千日前
難波近くのミナミの歓楽街ですが明治まで墓地&焼き場&仕置き場(さらし首が並んでいた)でした。今ではナンバのすぐ近くの一等地ですが、昔はずいぶん寂しい場所だったようです。墓地跡をにぎやかにするために見世物小屋を許可し、歓楽街となっていきました。飛田新地ももともとは刑場でした。
■おいらん
京都の島原では太夫のことを「こったいさん」と言ったそうで、「こちの太夫さん」から出た言葉です。東京の「おいらん」は「おいらの太夫さん」が語源だそうです。
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