歴史から何を学ぶべきか
【書 名】歴史から何を学ぶべきか
【著 者】小和田哲男
【発行所】三笠書房 知的生きかた文庫
【発行日】2004/11/10
【ISBN 】4-8379-7442-2
【価 格】533円
戦国武将は歴史を勉強し活用していたそうです。
■桃配山の家康
関が原の戦いの時に家康が桃配山に陣を張りましたが、この山は壬申の乱の時に大海人王子がここで兵士に桃を配り、近江を攻めて天武天皇になった故事にならったものです。
ウチの大将は大海人王子のように勝利をつかむのだという心理効果をねらったものでそうです。
■本能寺の変 光秀
京都から丹波路を進んだ足利尊氏は亀岡市の篠村天満宮に進んだところで幕府に反旗をひるがえし老ノ坂、沓掛を通り、桂川を渡って六波羅探題を攻め落とします。
鎌倉幕府の北条は平氏で足利は源氏です。織田信長は平氏で明智光秀は美濃源氏土岐氏の一族で源氏です。本能寺の変では篠村天満宮で重臣達に謀反の決意を伝えたと伝承が残っているそうです。そして同じコースをたどって京に攻め入ります。
今川義元も足利尊氏を見習っていたようで、もともと今川家は足利家から吉良家がわかれ、その吉良家から分かれたのが家です。朝廷に色々と工作してポストをもらっていますが、これが「上総介 → 冶部大輔 → 三河守」になっています。
これは足利尊氏とまったく同じで、尊氏は三河守の後に征夷大将軍になります。義元は念願の三河守になりましたが、これは桶狭間の11日前でした。
■金ヶ崎城 秀吉
織田信長が浅井長政の裏切りにあい、京都にあわてて逃げ出す時にしんがりを担当したのが秀吉で、太閤記などでもクライマックスシーンの一つになっています。ですが秀吉だけでなく明智光秀、池田勝正もしんがりで戦った文書が残っているそうで、歴史は勝者によって作りかえられる事例になっています。
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