韃靼疾風録(上・下)
【書 名】韃靼疾風録(上・下)
【著 者】司馬遼太郎
【発行所】中公文庫
【発行日】1991/1/10
【価 格】各660円
明代末期の平戸にある日、漂流した女真族のお姫さんが流れ着き、それを送るついでに、明がこれからどうなるか探る旅に出たところ、清の誕生に巻き込まれるお話です。
以前、中国東北部にある瀋陽に行った時に、故宮を見てきました。北京に比べると規模は格段に小さいのですが、額などには漢字の横に満州文字を書かれているのが印象的でした。
女真族が使っていた満州語ですが、すっかり滅んでしまったと思っていたところが、現代でも話す部族が残っていたそうです。先日の梅棹先生の講演でもお話が出てきました。1570年代に中国の西域で反乱が起きた時に、故郷の満州人の部隊を派遣したそうです。
到着までに半年以上かかるような遠隔地で、実は到着する前に反乱は静まっていました。ところが派遣した乾隆帝は遠征軍を呼び返すのを忘れてしまい、そのまま残ったのが現在のシボ族だそうで、今でも満州語を使っているそうです。これがこの本の後書きにも出てきますので、梅棹先生は司馬遼太郎氏からこのお話をお聞きになったようですね。
■満州
女真族ですが、マンジュという菩薩(文殊菩薩)を信仰しており、自分の種族をマンジュと呼び、明人がその音に満州という字をあてたそうです。ですので満州というのは部族名で地名では無かったのですが、後に地名としても使われているようです。
■旅順
山東を発し、遼東にいたる船にとって旅程の順路にあるがために旅順と言うそうです。
■亡命
漢民族の明から異民族の清に変わる時、中国からたくさんの亡命者が渡ってきました。例えば江夏という姓は中国湖北省の江夏(ごうか)という地から来た人が日本名として使いだした姓なんだそうです。
■鎖国
ちょうどこの時代、江戸幕府が鎖国に入る時期です。日本人の海外渡航を禁止し、海外へは奉書船(官許の船)以外は出してはならない。異国からの帰国は死罪とする。ただし経過措置として異国滞留が5年未満は日本に帰ってもよいというお達しです。東南アジアから帰れなくなった日本人もかなりの人数になるそうです。
人口にして100万人以下と言われる女真族が人口の桁が違う漢民族をどうやって支配できたのかよくわかる一冊です。
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