歴史と風土
【書 名】歴史と風土
【著 者】司馬遼太郎
【発行所】文春文庫
【発行日】1998/10/10
【価 格】457円
東大阪市の分室の図書館で借りてきました。さすがに郷土の偉人ということで司馬遼太郎と安岡正隆はよく揃っています。
■関ヶ原
関ヶ原まで出向きましたが、薩摩の島津家は家康に夜討ちをかえようという意見を三成が取り上げなかったことから傍観を決め込みました。戦術としては正しく、家康を討ち取ることも可能でしたが、戦略的には日本を二分した戦いなのに堂々と東軍を破ることにならないということで三成は却下しました。
島津は結局戦場に取り残され、最後は家康本陣に突撃しながら撤退するという世に名高い撤退劇を繰り広げます。千人以上いた島津勢はわずか60騎あまりが生き残るという壮絶な撤退戦だったそうです。堺からは商人の今井宗薫が船を出してくれたそうで、これがために島津家は航海中に今井家からもらった食料二石をずっと太平洋戦争が終わるまで毎年、堺の今井家に送っていたそうです。
■物の怪
ずっと前に新聞(京都新聞かなあ?)で読んだことがあったのですが、この本に出てました。まだ司馬遼太郎氏が新聞記者として京都に詰めていた頃の話です。
京都の北、上賀茂からずっと奥に入ったところに志明院があります。私も学生時代にバイクで一度行ったことがありますが、賀茂川の源流に向かってずっと川沿いの道を登り、途中から狭い道を行くと最後に志明院があります。上賀茂からバイクで30分ばかり入った奥の方です。
司馬遼太郎氏は昭和23年の夏に志明院に泊まりました。住職の話によると志明院では皆が寝静まると夜中に天狗の雅楽が聞こえたり、障子がカタガタいったりすることが800年続いていました。司馬遼太郎氏が泊まった時も実際に、うるさいぐらい障子が鳴ります。それも1枚、2枚というような感じではなく、全部の障子を外からつかんで動かす感じです。
昔の人が怨霊や物の怪を恐れる気持ちはすごくまっとうな感覚だと感じ入ったそうで、ただ志明院もこの後、電気が引かれるようになるとパタッーと怪現象が止まりました。文明が物の怪を滅ぼしていっているようですね。
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