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2004/09/29

著者と編集者の間 出版史の森を歩く

 【書 名】著者と編集者の間 出版史の森を歩く
 【著 者】高橋輝次
 【発行所】武蔵野書房
 【発行日】1996/5/30
 【価 格】2472円

古本屋さんのエッセイーを集めた「古本屋の来客簿」などのシリーズを3冊、燃焼社から出されている著者です。大阪の豊中市にお住まいのようですね。創元社に勤めておられて河合隼雄氏の本などの編集をされていたそうです。著者や編集に交わる面白い話が多いですね。

■宮沢賢治 
文圃堂が出した宮沢賢治全集の出版秘話がありました。宮沢賢治は生前、自費出版で「春と修羅」「注文の多い料理店」しか出していませんでした。賢治の作品を評価していた草野心平が賢治の葬式に出席して、膨大な遺稿の存在を知ります。

一周忌が終わった後で宮沢家が自費出版で出した「宮沢賢治追悼」を横光利一に贈ったのが賢治の作品が世に出るきっかけとなったようです。読んで感動した横光は書物展望社の編集長をたずねて、全集を出すことを強く勧めました。刊行が決まり、全集の編集者として草野心平が決まり、話がすすみましたが、内容見本まで出来たのに出版の方はなかなか進みません。

当時、宮沢賢治は全くの無名、その全集をいきなり出すのは出版社の命取りになるかもしれないと危惧したせいです。ガッカリした心平は偶然街で会った、武田麟太郎氏から一緒に歩いていた文圃堂という古本屋のご主人、野々上氏を紹介され、その頃、出版も志していた若い野々上が引き受けることになりました。そして賢治の最初の全集が小さな古本屋さんから出ることになります。

第3巻の童話集が1000部売れて、200部増刷したとあるので、そう売れたものではないですね。(今では考えられませんが)

これをきっかけにして賢治の名前が広がり、今のブームになりました。そして文圃堂の名前も後世にまで残ることになります。

▼文圃堂の話題
文圃堂 中原中也
文圃堂こぼれ話 中原中也のことども

■ゲラ
活版印刷で組み上げた活字を三方に縁にある長方形の盤に収めます。

この盤のことをgallyと言うそうで、これがなまってゲラと呼ぶようになったようですね。今やコンピュータ写植の時代にまだゲラという言葉はしっかり残っています。

■蒲団(田山花袋)
原稿を書き上げたのはいいがモデルの彼女がもし読んだらと気がきではなかった花袋。

前田という人物が原稿を読んでもいないのに相談を受け、「恋と恋」というタイトルがいいだろうか、それとも「蒲団の匂ひ」がいいだろうかと花袋に聞かれます。
「いや蒲団の匂ひより蒲団の方がいいでしょう。ちょっと何のことか見当もつかないけれど。だが一体何を書いたんですか?」「いや、なあに...」と言葉を濁す花袋氏
近代文学のタイトルも実におもしろい命名秘話があるんですね。

■吉行淳之介の大失態
吉行淳之介は23歳の時にアルバイトの編集記者として新太陽社に入り以来6年間、大衆雑誌「モダン日本」の月刊誌の記者として働いたそうです。

昭和27年に作家の三橋一夫のところへ原稿を取りに行って、どちらも酒豪だったので酒盛りとなり、帰る時に原稿は郵便で送ろうかと言われたのを大丈夫持って帰りますと家を出たそうです。

電車を降りてしばらくして気がつくと握りしめた原稿の上側2枚だけが手に残って、中身がどこにもありません。ついに出てこなかったそうです。

三橋さんはこころよく原稿20枚を書き直してくれたそうで、昔の文士にはなかなかの人物がいたようです。当の吉行が「作家としての自分が同じ立場になったら、はたして三橋さんと同じように振る舞えるかはなはだ疑問である」と書いています。

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