2017/09/17

プロフェッショナル進化論

 【書 名】プロフェッショナル進化論
 【著 者】田坂 広志
 【発行所】PHPビジネス新書
 【発行日】2007/5/2
 【ISBN 】978-4-569-69038-4
 【価 格】800円

副題が「個人シンクタンクの時代が始まる」となっています。Web2.0時代となり昔では考えられないろいろな力を身につける環境が整ってきました。

■知識社会とは知識が価値を失っていく社会である。
ネットで簡単に知識を検索できるようになり、これから必要となるのは言葉であらわされない知恵である。

■下段者には上段者の力が分からない
プロフェッショナルの世界での恐ろしい格言。熟練者には力量が透けて見えるようになるが、下段者にはそれがないことを指しています。

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2017/09/16

ふるさとの歴史 津とその周辺

 【書 名】ふるさとの歴史 津とその周辺
 【著 者】三重郷土会
 【発行所】三重県良書出版会
 【発行日】1989/8/20
 【価 格】1,900円

下鴨神社の納涼古本市で掘り出してきました。昭和59年発行で平成元年に改訂増補されています。発売元が別所書店になっているので津あたりで出回った本です。巻末を見ると「三重の中世城郭」という本も出しているようです。

■集落跡
阿漕駅の西方丘陵にセントヨゼフ学園がありますが、建設時に発見されたのが高松遺跡。伊勢湾が見下ろせる丘陵上で弥生時代の32棟もの住居跡や墳墓が発見されました。セントヨゼフができてからも奥の方に住居跡などがありましたが、こちらも団地の造成で破壊されてしまいました。

■安濃
「万葉集」 草陰の安努(あぬ)な行かむと墾りし道 阿努(あぬ)は行かずて荒草立ちぬ(読み人知らず)
安努、阿努が安濃のことで枕詞が「草陰で」草深い所だったようです。意味は草深い安濃まで通じさせようと道路を開削したけれど、安濃まで通じないで、とうとう雑草が生い茂ってしまった。のようです。

「和名抄」
(安濃郡)建部郷、村主郷、内田郷、英太郷、跡部郷、長屋郷、岩田郷、馬屋郷、片片郷
(奄芸郡 あんげ)田井郷、服部郷、黒田郷、窪田郷
(一志郡)島抜郷

安濃郡は伊勢神宮の神田があり、総戸数は389戸と「神宮雑例集」に記録されています。神宮への年貢納入所もあり、こえが津市納所町の地名の由来と言われています。

■大市神社
帰化氏族大市氏の氏神。式内社として登場するが安濃町妙法寺と津市岩田の2ケ所の説がある。

■分部氏
1220年(承久2年)の記録に安西郡の検注使として和気部景康の名前が出てきます。これが分部氏のようで神宮領だった垂水納所を和気部駿河丹生王永運が押領しているという記録があります。

■塩浜
中世、伊勢国は若狭、瀬戸内海と並ぶ塩の生産地でした。鎌倉時代末期に富樫氏(のちに加賀国守護)が伊勢国十五所塩浜の地頭に任ぜられた記録が残っています。十五所というのは雲出にある地名です。織田信包が津城主になった時、藤方、上野、小森、雲出、矢野の塩浜に年貢を課した史料があります。織田信包は入城とともに柳山あたりの人を城下へ移転させ、これが津興(つおき)という津の町の興ったところと名付けられます。

■伊勢新聞
三重で最初に発行されたのが三重新聞(明治5年)で翌年に度会新聞が発行されます。伊勢新聞が発行されたのが明治11年で、創刊から今まで名前が変わっていない唯一の新聞になっています。


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戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌(上)関東編

 【書 名】戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌(上)関東編
 【著 者】西ケ谷 恭弘
 【発行所】学研
 【発行日】1991/8/1
 【ISBN 】4-05-105602-3
 【価 格】1,748円

戦国期の関東23城が精密イラストとともに復元されています。
小田原城、石垣山一夜城、玉縄城、小机城、江戸城、世田谷城、稲付城、川越城、鉢形城、武州松山城、館山城、真里谷城、百首城、逆井城、山入城、堀之内大台城、唐沢山城、小山城、多気山城、箕輪城、名胡桃城、白井城、平井城


他に縄張図が紹介されています。
三崎城、大庭城、津久井城、赤塚城、志村城、滝の城、杉山城、花園城、土気城、坂田城、島崎城、額田城、小田城、西明寺城、益子城、川連城、国峰城、金山城、大胡城

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2017/09/09

道で謎解き合戦秘史

 【書 名】道で謎解き合戦秘史
 【著 者】跡部 蛮
 【発行所】双葉社
 【発行日】2017/07/23
 【ISBN 】978-4-575-31288-1
 【価 格】1000円

11の合戦を道で読み解いた一冊です。

・桶狭間への道
・川中島合戦の道
・小谷城攻めの道
・本能寺への道
・中国大返しの道
・天正壬午の乱の道
・賤ヶ岳の合戦の道
・江戸入府の道
・関ヶ原の合戦への道
・九州征服の道
・大坂ノ役への道

織田信長は小谷城を攻めるための付城を築きましたが、大規模土木工事も行いました。最前線の虎御前山砦から横山城へ連携するために間に宮部砦を造り、間に三間半(約6.5m)の道路を整備し、小谷城側には5.5kmにわたり高さ3mお築地を築かせています。

備中高松城の秀吉の元へ本能寺の変の知らせが届きますが、流言も飛び交うので本当に所は分かりません。荒木村重や別所の反乱で瀬戸内海側の連絡ルートが閉鎖された時に山陰道の連絡通路を作っていたようです。おそらく情報が両側から届きダブルチェックができた可能性があります。

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信長研究の最前線2

 【書 名】信長研究の最前線2
 【著 者】日本史史料研究会
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2017/8/18
 【ISBN 】978-4-8003-1306-5
 【価 格】980円

副題が「まだまだ未解明な革新者の実像」。織田信長は中世的で保守的であったという実像が中心になりつつありますが、前作に続き信長の実像に迫っています。

・信長以前の織田氏とそのルーツは
・信長を生んだ、尾張国の地形・地理的環境とは
・信長の一代記「信長記」はいかなる書物か
・織田の顔・姿はどこまで本物に近いのか

・スムーズでなかった、信長の家督相続の現実
・信長と美濃斎藤氏との関係とは
・浅井長政は、なぜ信長を裏切る決断をしたのか

・室町幕府の幕府とは何か
・信長はなぜ蘭奢待を切り取ったのか
・信長の馬揃えは朝廷への軍事的圧力だったのか

・信長とイエスズ会との本当の関係とは
・信長「神格化」の真意を検証してみる
・安土城「天主」の復元はどこまで可能か

・信長は、生野銀山を直接支配したのか
・信長と都市・堺はどのような関係だったのか
・名物狩りと御茶湯御政道の実像とは

織田信秀が亡くなった後、信長に家督を譲ったことになっていますが弟の信勝が信秀に似せた自身の花押を発給文書に書いており、どうもスムーズな家督相続ではなかったようです。美濃では斎藤道三が土岐頼芸と争っていましたが今川との戦いを優先せざるを得なくなった織田信秀が斎藤道三と組みます。これで信長と帰蝶との婚姻に結び付き、斎藤道三は美濃をとることができます。

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2017/09/02

戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌(下)中部・東北編

 【書 名】戦国の城 目で見る築城と戦略の全貌(下)中部・東北編
 【著 者】西ケ谷 恭弘
 【発行所】学研
 【発行日】1992/12/01
 【ISBN 】978-4051063498
 【価 格】1942円

戦国期の中部・東北31城が精密イラストとともに復元されています。
清州城、小牧山城、岡崎城、浜松城、二俣城、高天神城、駿府城、山中城、岐阜城、高山城、躑躅ケ崎館、新府城、真田氏館、上田城、小諸城、海津城、林城、七尾城、一乗谷城、丸岡城、栃尾城、春日山城、向羽黒岩崎城、鴨山城、羽黒山城、小浜城、米沢古城、九戸城、高水寺城、堀越城、根城

他に縄張図が紹介されています。
末森城、葛山城、諏訪原城、小里城、金山城、江馬下館、屋代城、福与城、鳥越城、白鳥城、栖吉城、百目木城、楢葉城、久川城、八谷城、石切城、鹿島館、金沢柵、浪岡城

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中村屋のボース

 【書 名】中村屋のボース
 【著 者】中島 岳志
 【発行所】白水社
 【発行日】2005/04/30
 【ISBN 】4-560-02778-1
 【価 格】2200円

ボースの娘さんから借りた資料などから出来上がった一冊で大佛次郎論壇賞、アジア太平洋賞を受賞しています。

新宿中村屋のカレーはインド独立の味がすると言われていますが、本格的なカレーの味を伝えたのがR.B.ボース。イギリス植民地となっていたインドの独立闘志がボースでした。爆破事件などでイギリスに追われ1915年に日本に亡命。匿ったのが新宿中村屋です。日本の力を使ってインド独立を目指そうとしますが日本自体が帝国主義になり朝鮮や中国に進出して植民地化しようと、やっていることがイギリスと変わらなくなり、悩むことになります。道半ばで日本で亡くなりますが、亡くなる前に「なにが食べたいですか」という質問に迷わず「インドカリー」と答えました。

銀座に「ナイルレストラン」がありますが、創業者のナイルも京大留学時代からインド独立運動をしておりボースと連携していろいろと行動しています。他にも安岡正篤などそうそうたるメンバーが登場します。関連本として「新宿中村屋 相馬黒光」、「一商人として」もおすすめです。

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2017/08/17

蘇我氏と馬飼集団の謎

 【書 名】蘇我氏と馬飼集団の謎
 【著 者】平林章仁
 【発行所】祥伝社新書
 【発行日】2017/08/10
 【ISBN 】978-4-396-11513-5
 【価 格】820円

田んぼと言えば四角形の正条植えが一番効率がよいのですが、岐阜県高松山松之木町と新潟県佐渡市北鵜島にだけ同心円紋状の田んぼである車田があります。これは馬の額の旋毛である額田と関係しているようです。

蘇我氏の本貫は宗我坐宗我都比古神社ですが、すぐ南が忌部氏の本貫になっていて、蘇我氏の指揮下で各種玉類の製作をしていたようです。蘇我韓子は騎馬で戦ったいたようで馬飼集団と関係しています。

馬飼集団・平群氏
「紀氏家諜」に平群氏と馬について書かれています。額田駒宿祢が馬を飼育して天皇に献上し、馬工連の氏姓を与えられ、この馬工連と平群氏は同族でした。平群の地で馬飼をし、生駒は養駒の地から名付けられます。額田は平群郡額田里に住み、母系の氏姓である額田首を名乗りました。この額田首氏の本貫が河内国額田郷である。

額田部
額に旋毛(つむじ)がある馬を献上したことかた額田部の姓をたまわりました。額田部湯坐連氏は額田部皇女(推古天皇)の養育を担当した氏族です。

河内日下
隼人系集団の移住地で、馬飼を行い国家に胸腔していました。仁徳天皇と髪長媛と間に生まれた大日下王、若日下王の居住地で日下宮王家の拠地でした。雄略天皇が日下の直越道を通って若日下王に求婚しています。日下といえば神武東征の舞台となったところで、盾津といいますが、この盾は隼人の盾です。孔舎衙の戦いで大きなる樹に隠れてやりすごした人がいて、恩、母のごとしと樹に感謝したことから、その地を母木邑(おものきむら)と名付けました。この母木邑が豊浦郷。継体天皇の時代(530年)に任那復興で派遣された近江毛野臣の従者とみられる河内母樹馬飼首御狩の拠地となります。


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日本の異界 名古屋

 【書 名】日本の異界 名古屋
 【著 者】清水義範
 【発行所】KKベストセラーズ
 【発行日】2017/07/18
 【ISBN 】978-4-584-12559-5
 【価 格】824円

名古屋人は大学も名古屋で、そのまま名古屋で就職します。同窓生とも親密な関係が続き、出来上がるのがツレ・コミュニケーション。何か頼み事があると「ツレに聞いてみると」なります。

名古屋メシといえば味噌カツが有名ですが東海地域に拡がる豆味噌文化が背景にあります。東海地域以外では大豆に麦やコメを混ぜて味噌を作っていますが、東海地域では大豆だけで味噌を作っています。モツなどを煮込んだものを”どて”と呼んでいますが、これも名古屋独特の文化になります。

また喫茶店では小倉トーストが出てきますが、粒あんを小倉と呼ぶのは拾遺和歌集の歌に由来します。「小倉山 峰のもみぢ葉心あらば 今ひとたびのみゆき待たなむ」で。小倉山といえば紅葉が有名で、紅葉は鹿がつきもの。粒あんを鹿の子模様に見たて、今ひとたびのみゆき待たなむ、をもう一度食べたいものだの意味にかけているそうです。

名古屋には久屋大通、若宮大通という100メートル道路があります。戦後、田淵寿郎という人物が都市計画をしますが、もう一つ行ったのが市内の墓を集めて作った平和公園という一大墓地、戦後で町が灰燼している時とはいえ、よく作りました。

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2017/08/12

下鴨納涼古本まつり

下鴨納涼古本まつり
下鴨納涼古本まつりには40軒近くの古本屋さんが出品しており、一角に絵本コーナーがあります。ここには古書市の神様に回収された「ラ・タ・タ・タム」の絵本があります。

あるはずなんですがねえ。(笑)なんとか絵本を見つけて手を出し、黒髪の乙女と手を触れあわねば!

ご存知、森見登美彦の小説「夜は短し歩けよ乙女」の一節です。しばらく絵本を探しても見つからないので本来の目的である城郭関係の古本探しです。探していると目的とは関係のない津の昔の本などを見つけてしまうので困ったものです。ツン読が増えるだけです。でも本は見つけた時に買わねば二度と出会えません。

下鴨納涼古本まつりは京都古書研究会が主催する古本市で、なんせ古代からある糺ノ森で古書市が行われます。学生やら外国人など京都らしいお客さんが多く緑に囲まれて一風変わった古書市です。

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