日本書紀が解き明かす 日朝古代史の謎
【書 名】日本書紀が解き明かす 日朝古代史の謎
【著 者】瀧音能之
【発行所】宝島社新書
【発行日】2025/05/24
【ISBN 】978-4-299-06807-1
【価 格】1,100円
■纏向遺跡
機内を中心に行われた銅鐸のよる祭が纏向遺跡の登場とともに亡くなります。卑弥呼政権を主導したのが機内勢力でない可能性があります。
■新羅建国
辰韓(新羅)では3つの王族(昔氏、朴氏、金氏)から王を出しました。昔(セキ)氏は倭出身でした。昔氏で最初に王となったのは4代目脱解です。
■アメノヒボコ
アメノヒボコ伝承地と兵主神社の分布図が重なります。兵主神は史記に登場する中国の武神で山東半島で信仰されました。
■百済との国交樹立
364年にヤマト政権に近い関係にある伽耶の卓淳で外交交渉が行われ、367年に国交が樹立。これを記念して369年に七支刀が作られ372年に伝来します。
■鳥居龍蔵
1905年に在野の考古学者である鳥居龍蔵が朝鮮総督府に委嘱をうけて7年間にわたる調査を行います。
■倭の五王時代 二王統対立
履中天皇系統 百舌鳥古墳群 葛城氏、吉備氏がバックアップ
允恭天皇系統 古市古墳群 物部氏、大伴氏がバックアップ
■任那日本府
雄略天皇が反新羅なのに任那日本府は親新羅です。実体は亡命吉備政権だったようです。
■河内直
544年に百済の聖明王が百済の官吏であった河内直(あたい)ら3人が新羅と内通したと非難しています。河内などから半島に渡った豪族が多くいました。
■日本書紀
百済記、百済本紀などの逸文が引用され、特に欽明天皇紀では90%が朝鮮半島の関連記事で亡命百済人が編纂に携わっていました。ですので百済を滅ぼした新羅の記述が少なくなります。
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