2018/09/23

ルイス・フロイスが見た異聞・織田信長

 【書 名】ルイス・フロイスが見た異聞・織田信長
 【著 者】時空旅人編集部
 【発行所】サンエイ新書
 【発行日】2006/02/13
 【ISBN 】978-4-7796-3735-3
 【価 格】880円

18回も織田信長とあったルイス・フロイスが詳細な記録を残しており、それが「日本史」。筆まめだったため、当時のいろいろな様子が分かります。比叡山は「ひのえやま」と当時は呼んでいたようです。今とはだいぶ違う風習でした。

・ヨーロッパでは女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。そして貴人たちは料理を作るために厨房に行くことを立派なことだと思っている。
・ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸し付ける。
・ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては、家から外で出ない。日本の女性は夫に知らせず、すきなところに行く自由をもっている。

将軍・足利義輝が殺された時、命を狙われた足利義昭を助けた一人が和田惟政。摂津城主で部下に高山右近がいて、堺へ来た時にフロイスに会いに来ました。この和田惟政がフロイスを信長に紹介することになります。二人が言葉を交わしたのが二条城の建設現場。

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2018/09/22

ジェロントロジー宣言

 【書 名】ジェロントロジー宣言
 【著 者】寺島実郎
 【発行所】NHK出版新書
 【発行日】2018/08/10
 【ISBN 】978-4-14-088560-4
 【価 格】780円

知的生産の技術研究会の顧問でもある寺島実郎氏の新著です。副題は「知の再武装で100年人生を生き抜く」となっています。ジェロントロジーの直訳は老年学ですが、社会工学の視点が必要で高齢化社会工学と訳すべきと提唱しています。行政への異様なクレーマーの大半が70歳以上の男性の高学歴者という結果があり、会社という組織を離れ、孤立感から自己主張の暴徒老人になってしまいがちです。

人生100年の高齢化社会となり会社の第一線から引退してからの人生もけっこう長く、学びなおして知の再武装に備えることを提唱した一冊です。

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2018/09/15

日本史真髄

 【書 名】日本史真髄
 【著 者】井沢元彦
 【発行所】小学館新書
 【発行日】2018/08/08
 【ISBN 】978-4-09-825318-0
 【価 格】840円

ケガレ、和、怨霊、言霊、朱子学、天皇を視点にして日本史を見ると見方が変わってきます。

■持統天皇
天皇が亡くなると古墳を造り土葬が当たり前だったのを自らは火葬することを命じたようです。呪力のある天皇が亡くなれば穢れるため遷都せざるをえませんが火葬によって同じ都を営むことができるようになります。これが藤原京になります。また古墳を取り巻く堀は水を使って穢れを閉じ込めるための結界でもありました。

■武士の誕生
律令には兵部省と刑部省がありましたが、人を殺すような汚れ仕事をやりたくないため結局は有名無実化。機能しなくなります。そこで作ったのが検非違使。令外官でしたが、これをまかせたのが源氏や平氏で、武力をもった武士が台頭することになります。崇徳天皇が死に際し、天皇家を呪ったため武士の世が誕生したと考えられました。明治維新で朝廷に政権が戻った時に明治天皇が勅使を送ったのが讃岐の白峰宮(崇徳天皇を祀った陵)でした。

■西郷隆永
西郷隆盛の通称は吉之助で、別に諱がありますが、よほど親しくないと教えるものではありませんでした。明治となって名前を統一しようという時に友人が西郷は隆盛じゃなかったっけなと届け出したため、西郷隆盛となり、本当は隆永だったようです。

■言霊
宴会の最後で今も使われる「お開き」という言葉。終わりといえばいいものを今も言霊社会は続いています。

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2018/09/11

上皇の日本史

 【書 名】上皇の日本史
 【著 者】本郷和人
 【発行所】中公新書ラクレ
 【発行日】2018/08/10
 【ISBN 】978-4-12-150630-6
 【価 格】880円

退位した天皇が上皇となりますが自動的になるものではなく、特に治天の君になるのはいろいろな条件があります。また院政だったのに摂関政治が復活することもあり万全なものではありませんでした。

■鎌倉幕府が滅んだ理由
後醍醐天皇は最初から討幕を志向していたようで、危ない人物に貴族は近寄らず異形の人たちが周りを固めていました。これで鎌倉幕府がしっかりしていればよいのですが、霜月騒動が起きます。幕府と朝廷は手を取り合って日本全体の政治責任をとっていこうと考えていた安藤泰盛一族が滅ぼされてしまいます。勝ったのは幕府は御家人のためにあるんだから御家人にさえよければよいと考える武士です。そして永仁の徳政令が出ます。「御家人が御家人以外に売った土地はタダで取り返せる」というとんでもない法令で、頭にきたのが新興の武士、いわゆる悪人と呼ばれる異形の人たちです。

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2018/08/22

ちいさなちいさな出版社たち

 【書 名】ちいさなちいさな出版社たち
 【著 者】松籟社編集部
 【発行所】松籟社
 【発行日】1985/8/5
 【ISBN 】4-87984-058-0
 【価 格】1,300円

紹介されているのは影書房、径(こみち)書房、創樹社、マツノ書店、論創社で、なぜ出版社を立ち上げたのかなど記載されています。マツノ書店は山口県徳山市にある古書店&出版社で山口などに関わる本の復刻などをしています。我が家にもマツノ書店の本があります。

論創社への注文スリップで誤りもけっこうあり、「大逆事件の周辺」がなぜか「大学受験の周辺」で届きます。「農の美学」が「能の美学」になるのは簡単ですが、「十字星に祈る」が「北極星に祈る」になったりします。他には「知覚の精神病理」が「味覚の精進料理」になったそうです。出版社運営は大変でフランスの諺に「大金を失うのは簡単なことだ。出版をはじめればよい」というのがあるそうです。

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2018/08/04

激闘!賤ヶ岳

 【書 名】激闘!賤ヶ岳
 【著 者】楠戸 義昭
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2018/07/19
 【ISBN 】978-4-8003-1528-1
 【価 格】950円

柴田勝家をくだし秀吉の天下取りを確定づけた戦いです。先手をとったのが柴田勝家側で玄蕃尾城を本陣にして行市山砦、別所山砦、中谷山砦、大池山砦などを築いていきます。出遅れた秀吉は神明山砦、堂木山砦などを築き、持久戦にあたらせますが第二陣となる大木山砦などは城造りの途中でした。

柴田郡の総指揮をとっていたのは佐久間盛政で、もともとは御器所西城の出身。佐久間氏は源氏の家人である三浦一族で安房国佐久間庄を本貫としました。余呉湖の西側を迂回し手薄だった大岩山砦を急襲。守っていた中川清秀が討死します。ところが岐阜攻めの途中、大垣で川の足止めをくらっていた秀吉に情報が入り、一夜で戻ってきます。佐久間盛政は見事な退き口で撤退しますが、この時に前田利家が裏切り戦線を離脱します。ここから勝家軍が崩れることになります。

勝家の撤退時間を稼ぐために馬印を借りたのが毛受(めんじゅう)勝助。林谷山砦で2時間、秀吉軍を釘付けさせることで勝家を北庄城に落ち延びさせました。勝家が前田利家の城によって何も言わず茶漬けを食べたシーンが出てきますが、前田利家は迂回して城へ向かっていたので物理的に勝家の前に城には入っていなかったそうです。

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2018/08/02

大阪高低差地形散歩広域編

 【書 名】大阪高低差地形散歩広域編
 【著 者】新之介
 【発行所】洋泉社
 【発行日】2017/09/19
 【ISBN 】978-4-8003-1289-1
 【価 格】2,200円

紹介されているのは豊中、箕面、茨木、交野、古市、二上山、神崎川・守口、尼崎、枚方、高槻・富田、大山崎、池田、岸和田・貝塚、富田林が紹介されています。

古代、京都や奈良は古大阪湾とつながっていましたが生駒山地、六甲山地の隆起により古京都湾、古奈良湾は消滅していきます。

■花園
大和川の付け替えが行われましたが河内花園駅近くまで流れてきた玉櫛川がこのあたりで吉田川と菱江川に大きく分かれていました。この吉田川の痕跡が花園商店街のカーブとして残っていて、そのままラグビー場の方につながっているそうです。

■尼崎
弥生時代の海岸線は現在のはるか北でJR東海道線の北にありました。名神高速の南側が微高地になっていて、ここが当時の砂州跡。尾浜という地名も残っています。尼崎には時代によって三列の砂州列があり2つ目の列には難波熊野神社、熊野八幡神社などが砂州列沿いに並びます。


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初期室町幕府研究の最前線

 【書 名】初期室町幕府研究の最前線
 【著 者】日本史史料研究会
 【発行所】洋泉社歴史新書
 【発行日】2018/06/19
 【ISBN 】978-4-8003-1508-3
 【価 格】950円

副題が「ここまでわかった南北朝期の幕藩体制」。鎌倉幕府を倒し建武の新政がはじまりましたが、後醍醐天皇とたもとを分かった足利尊氏が楠木正成、新田義貞という忠臣を滅ぼし室町幕府を成立させたという話がありますが、実際はそんな単純な話ではなく、けっこう複雑でした。

もともとは後深草上皇と亀山上皇が兄弟ながら治天の君の座を争ったのが発端。皇統が持明院統と大覚寺統に分かれ鎌倉幕府も苦慮することになります。大覚寺統の後醍醐天皇が皇統の一本化を考えましたが建武の新政が失敗し、足利尊氏は対抗上、北朝を作ります。ただ尊氏は後醍醐天皇と和睦して皇統統一をはかろうとしていたようです。吉野に後醍醐天皇が移っても北朝側では皇太子をたてずに交渉していました。しかし交渉がうまくいかず最終的に征夷大将軍となり南北朝時代へと突入していきます。

九州がキーワードだった。新田義貞、楠木正成、北畠顕家に敗れた足利尊氏は九州へ逃れ体制を立て直して京都へ戻ってきます。同じように北朝に敗れた南朝も九州で勢力をのばしました。懐良親王を中心にまとまっていました。ちょうど倭寇に悩まされ、できたばかりの明から使者がきて懐良親王は日本国王に認定されます。足利義満といえば日明貿易で儲けたというイメージがありますが、懐良親王から代わって貿易をはじめるまで大変だったようです。

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2018/07/24

学校では教えてくれない戦国史の授業

 【書 名】学校では教えてくれない戦国史の授業
 【著 者】井沢 元彦
 【発行所】PHP文庫
 【発行日】2018/02/15
 【ISBN 】978-4-569-76806-9
 【価 格】820円

本能寺の変については謀略説などいろいろとありますが、この本では四国説を掲載しています。信長の家臣だった斎藤利三が信長から長宗我部との取り持ちを頼まれ、妹を嫁がせ生まれたのが長宗我部信親。信長から一字をもらいました。良好な関係だったのですが長宗我部が勢力を伸ばすと信長が方針転換。長宗我部にまだ占領されていないのが阿波の三好に肩入れすることになり、こちらの取次が秀吉だした。秀吉は後に甥っ子を三好の養子に出しています。

占領したところを返せという信長の要求に長宗我部は拒否。大坂から四国攻めの軍団を派遣する手前で起きたのが本能寺の変です。長宗我部側だった斎藤利三はこの時、明智光秀の筆頭家老になっていました。

当時の公家の日記は該当部分が破棄されていたりして分かりませんが、本能寺の変の後、光秀は征夷大将軍に任命されていた可能性があるそうです。

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2018/07/15

逆転した日本史

 【書 名】逆転した日本史
 【著 者】河合 敦
 【発行所】扶桑社新書
 【発行日】2018/07/01
 【ISBN 】978-4-594-07993-2
 【価 格】830円

最新の学説などによって日本史がけっこう変わっています。昔、源頼朝像と習った肖像画はどうも足利直義らしく、蒙古襲来絵詞では竹永季長に向かって矢や”てつはう(手榴弾)”を投げつけている蒙古兵は、江戸時代に書き足したようです。最初は逃げる蒙古兵を追うシーンで描かれた模様。

■薬子の変 → 平城太上天皇の変
薬子というのは平城天皇に嫁いだ娘の母親。女官でついてきて平城天皇の寵愛を受けることになります。病気もあり弟の嵯峨天皇に攘夷しましたが、もう一度復権しようとしたのが平城太上天皇の変で薬子が主体的に動いたわけではなく、変わったそうです。

この騒ぎで嵯峨天皇の皇太子だった高岳親王は平城天皇の子供だったこともあり廃され、仏門に入ります。唐へ渡り修行し、最後はインドにまで修行の旅に出かけ途中で亡くなったようです。こんな歴史もあったんですね。

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